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龍神に会いに行く(2)江ノ島の弁才天と五頭龍

龍の伝説

 

龍神を化身に持つ弁才天(弁財天)を祀る寺社で、三大弁才天のひとつと呼ばれるのが相模の国(神奈川県)江ノ島の「江島神社」です。

 
ご祭神は、神仏習合で弁才天と同一とされる「市寸島比売命(いちきしまひめ)」をはじめとした「宗像三女神」という三姉妹の女神ですが、弁才天そのものは「辺津宮」の境内にある「奉安殿」という神宮寺のお堂に祀られ、8本の腕を持つ「八臂弁財天(はっぴべんざいてん)」と、「裸弁財天」とも呼ばれる裸体で琵琶を抱えた「妙音弁財天」という2体の弁才天がいらっしゃいます。

 
江戸時代にはこの弁才天への信仰がとても盛んになり、江戸から多くの江ノ島詣の人々が訪れるようになります。
江ノ島に渡って弁才天を拝んだあと鎌倉まで足を伸ばして寺社をまわり、江戸へと帰る旅(3泊4日が一般的)が江戸町民のポピュラーな観光旅行となりました。

 
この江ノ島の弁才天と龍にまつわる伝説が遺されていますので、ご紹介することにしましょう。

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江島縁起に遺された弁才天と五頭龍伝説

「江島縁起」は江ノ島と江島神社の歴史を記したもので、平安時代の1047年に天台宗の僧である「皇慶」という人によって作られたとされるものです。
この江島縁起には、江ノ島の成り立ちとして弁才天と「五頭龍」という龍の伝説が描かれています。

 
大昔、鎌倉郡(鎌倉市)と久良岐郡(金沢区など横浜市南部)の間に深沢という湖がありました。
この湖には頭が5つある五頭龍が棲んでいて、鬼たちを子分に700年間もの間、洪水や山崩れ、疫病や争いなど悪行を重ね、ついには人間の子供を食べるようにまでなってしまい、人々は美しい娘を生け贄として差し出していたと言います。

 
欽明天皇13年(552年)4月12日の夜から23日の朝にかけて、この湖の南の海の上に雲が沸き起こり大地が鳴動し、やがて天女が風神・雷神など多くの神々を従えて現れました。
神々は空から石を落とし海から砂を吹き上げて島を造り、天女はこの島に舞い降りたのです。
この天女こそ弁才天で、出来上がった島が江ノ島でした。

 
弁才天の美しい姿を見た五頭龍は一目見て惚れ、江ノ島に渡って求婚するのですが、弁才天は龍のこれまでの悪行を非難して聞き入れませんでした。
そこで龍は悪行をやめる誓いを立て、ようやく弁才天と結ばれます。
弁才天は江島明神となり、五頭龍は日照りには雨を降らせ台風をはね返し津波を押し返すなど、人々のために力を尽くしました。

 
しかしそのために龍はやがて衰え、江ノ島の対岸で山に姿を変えて人々を護ることになります。
これが片瀬の龍口山で、五頭龍は「龍口明神社」のご祭神(五頭龍大神)となりました。
なお、龍口明神社には海神(龍神)の娘で、「海幸山幸神話」に登場し山幸彦と結ばれる「玉依姫命(たまよりひめ)」もご祭神となっています。

 

 

60年に一度、五頭龍が弁才天に会いに行くお祭り

五頭龍は日本には珍しい悪龍なのですが、またこれも日本の龍らしく決して征伐されたり殺されたりするのではなく、悪行を悔い改めて弁才天と結ばれ人々のために働くことになります。

 
弁才天と五頭龍はそれぞれ江ノ島と龍口山に離れて祀られるわけですが、巳年のうちの60年に一度の「己巳(つちのとみ)の年に「還暦巳年祭」の大祭が行われ、五頭龍の木彫りのご神体が江ノ島まで渡って弁才天に会いに行き、共に江島神社中津宮に安置されるそうです。
前回は平成元年で、そのあと平成13年に御鎮座千四百五十年祭でも大祭が行われました。
次回の還暦巳年祭は平成61年(2049年)になりますから、まだまだずいぶん先ですね。

 
なお現在の江島神社には、平成5年に篤志者によって「岩屋本宮」の真上に「龍宮(わだつみのみや)」が建てられ龍神が祀られています。

 

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