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妖術を使う反乱の鬼女、滝夜叉姫…平将門の忘れ形見は伝説の姫

般若
 
鬼女に特徴的な恐ろしい顔や姿というと、能の面などに表現されている角を生やした「夜叉(やしゃ)」や「般若(はんにゃ)」が思い浮かびます。

夜叉は本来インド神話と仏教に由来する鬼神の総称で、財宝の神である毘沙門天の眷属であると同時に、人を食らうという恐ろしい性格を持っていました。仏教では仏法を守る護法善神となり、夜叉のひとりの妻である鬼子母神は子育て、安産の守り神になっています。

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また般若は、仏教の教典である「般若心経」の般若なのですが、実は鬼の般若はこの教典とは直接的に関係はありません。鬼の恐ろしい顔の面を般若坊という僧が作ったという説から、能などで使われる鬼女の面を般若の面と呼び、それが般若=鬼女となったという説があります。また源氏物語の「葵」の巻で、葵の上が六条御息所の生霊に取り憑かれたときに般若心経を読んで退治したので、鬼女を般若と呼ぶようになったという説もあるそうです。

いずれにしろ、夜叉や般若は日本では鬼女を指す名称として使われるようになり、特に能の夜叉、般若の面が怖い鬼女のイメージを広めるのに大きな役割を果たしたのではないでしょうか。
その夜叉という名前を、そのものずばり持つ鬼女の伝説があります。

 

鬼女となった平の将門の伝説の娘

平将門は歴史上の人物で、平安時代の中頃に関東に独立した勢力圏を築き、京の朝廷に反旗を翻したことから討伐されてしまいます(天慶の乱)。いまでも東京の千代田区大手町には、京の都にさらされた将門の首が故郷に向かって飛んで行き落ちたとされる将門の首塚(将門塚)があり、関東の地を守り続けるとともに不敬があると祟ると言われています。
この平将門の娘とされるのが、妖術使いであり鬼女となった「滝夜叉姫」です。

もとは五月姫という名前でしたが、将門が討たれ一族郎党が滅ぼされたあと生き残りました。五月姫は父の無念をはらそうと、貴船明神の社で「丑(うし)の刻参り」を行います。貴船神社の荒神は丑の年の丑の月の丑の日に降臨した神であり、この丑の刻参りの呪詛を願う神様として知られています。
そして21日後の満願の日、五月姫は貴船明神のお告げを聞き妖術を授けられたのでした。

 

反乱を起こす滝夜叉姫

貴船のお告げどおりに滝夜叉姫という名前を名乗った姫は、下総の国に戻り配下を集めて砦を築き、京の朝廷に対し反乱を起こします。
朝廷は討伐のために陰陽師の大宅中将光圀を関東に派遣し、戦いを挑みます。滝夜叉姫は怨念の塊となって鬼女となり妖術で散々に光圀を苦しめますが、激闘の末、光圀は陰陽の術によって姫を封じて調伏に成功します。滝夜叉姫は最後には改心し、亡き平将門のもとへと昇天して行きました。

滝夜叉姫の伝説は下総(千葉県)に遺された伝説ですが、その後には神楽の演目になったり現代ではいくつかの小説の題材として登場したりもしています。

福島県磐梯町の恵日寺(えにちじ)には平将門が寄進したという山門が遺されていて、この寺の伝説では如蔵尼という人が将門の三女で、滝夜叉姫と同一人物であるとしているそうです。この三女の姫は将門の亡き後、如蔵尼となって恵日寺の傍らに庵を結び静かに暮らし、そのうち亡くなってしまいますが、地蔵菩薩によってこの世に戻され、80歳余りまで長生きしたということで、滝夜叉姫伝説とはまるで違ったものですが不思議な伝説が遺されています。

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