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龍神に会いに行く(6)越前の国の黒龍と九頭龍

龍の伝説

 

越前の国(福井県)に「黒龍(くろたつ)神社」という古い神社があります。
もとは高尾郷黒龍村にありましたが、その後現在の福井市舟橋に遷座しました。

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黒龍大明神は日本古来の四大明神のひとり

この神社の由緒によると、黒龍神社は日本古来の四大明神のひとつであり、四大明神とは常陸の国(茨城県)の鹿島大明神、紀伊の国(和歌山県)の熊野大明神(熊野権現)、安芸の国(広島県)の厳島大明神、そしてこの越前の国の黒龍大明神なのだそうです。

 
そして黒龍神社はその名のとおり龍神が勧請された神社で、ご祭神は「高おかみ神(たかおかみのかみ)」「闇おかみ神(くらおかみのかみ)」「大山祇神(おおやまつみのかみ)」「継体天皇」となっています。

 
高おかみ神と闇おかみ神は同一の神、または対になる神様とされていて、「おかみ」とは「霊」と「龍」の漢字が組み合わされた龍の古語であり、まさに龍神のことなのです。
そして高おかみ神は「黒龍大神」、闇おかみ神は「白龍大神」とも呼ばれています(別の神社では高おかみ神を白龍とするところもあるようです)。
ちなみに高おかみ神は、京都・貴船神社のご祭神として有名です。

 

 

黒龍川を鎮める黒龍大明神

伝承によると、477年(雄略天皇21年)に後に「継体天皇」となる「男大迹王(をほどのおおきみ)」が越前の国の大きな川である日野川、足羽川、黒龍川(現在の九頭龍川)の3つの河川の治水のための大工事を行い、暴れ川であった黒龍川を鎮め、繁栄を祈願するために黒龍神社を創建したということです。

 
日野川は黒龍川の支流で、足羽川は日野川の支流ですから全体として黒龍川であり(九頭龍川水系)、急峻な地形と雨の多い気候風土から古代より氾濫を繰り返し「崩れ川」と呼ばれるほどだったと言います。
また福井平野は、古代は大きな湖で水害を引き起こし、男大迹王は黒龍川の河口を広くして水を海に流れやすくしたと伝えられています。

 
男大迹王はこの越前の地を支配していて、後に武烈天皇が後嗣を決めずに亡くなられたことから、朝廷に迎えられて58歳にして即位し継体天皇になりました。
しかし異説では、それまでの天皇家とは血縁のない新しい王朝の初代であるという説もあり、謎の多い天皇です。
ただ黒龍神社の創建伝説を見ると、龍神である高おかみ神と闇おかみ神を勧請するなど、龍蛇神に関わりのある大王であったことが想像されます。

 

 

九頭龍が現れる

時代は下って平安時代の889年(寛平元年)6月、「平泉寺(へいせんじ/福井県勝山市)」の「白山権現」が姿を現して黒龍川に尊像を浮かべたと言います。
この白山権現とは、石川県と岐阜県にまたがる白山(標高2702m)の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神様で、平泉寺は白山信仰の越前側の禅定道(ぜんじょうどう/山頂に登る山道のこと)の起点であり、修行の道場として栄えました。

 
白山権現の尊像が黒龍川に浮かぶと、今度は9つの頭を持った九頭龍が現れ、尊像をいただくようにして川を流れ下って行き、黒龍神社の対岸に泳ぎ着きました。
それ以降、この黒龍川は九頭龍川と呼ばれるようになり、現在に至っていると言うことです。
別の伝承では黒龍と書いて「くずりゅう」と読ませていたとされ、もとから「くずりゅう」と呼ばれていたことを窺わせる説もあります。

 

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