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龍神に会いに行く(5)九頭龍大神の棲む戸隠山

龍の伝説

 

日本の龍伝説で最も多く登場する龍といえば、「九頭龍(くずりゅう)」ではないでしょうか。
信濃(長野県)の戸隠、越前(福井県)、相模(神奈川県)の箱根、上総(千葉県)の鹿野山、摂津(大阪府)、肥後(熊本県)の阿蘇など、全国各地にその伝承が遺されています。

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猛毒を持つ九頭龍

九頭龍といえば、仏教では「八大龍王」のひとりである「和修吉(ヴァースキ)」とされ、そのもとはインド神話の龍族「ナーガラージャ」の一員。
千の頭と長大な胴体を持ち、恐ろしい猛毒を吐くと言われています。
古代中国の陰陽思想では、奇数は良いことを表す「陽数」、偶数は悪いことを表す「陰数」で、9は一桁の奇数の最大数ですから、極めて大きな力を持つということでヴァースキの頭を「九頭」としたと言われています。

 
一般的には、仏教が日本に伝わるとともにこの九頭龍もやって来たと考えられますが、それよりもはるか昔、古代日本の龍信仰と結びついたと想像されるのが戸隠山の九頭龍伝説です。

 

 

戸隠神社で最も古い九頭龍社

戸隠神社は長野市の北西、新潟県との県境の近くに聳える戸隠山(標高1904m)周辺に5つの社を配する神社で、戸隠山の隣には九頭龍山(標高1882.6m)があります。

 
戸隠山は古くから修験道の道場や戸隠流忍術で知られていますが、その中腹にある戸隠神社奥社の歴史はとても古く、紀元前210年(孝元天皇5年)の創建という説もあります。
しかし九頭龍社の歴史はそれより更に古いとも言われていて、古代から水を司りこの地を治める九頭龍(龍蛇神)への信仰があったとされ、その後平安時代の850年(嘉祥3年)に学問という名の僧が奥社の地で修験を始め、現在に続く戸隠神社となったと言うことです。
戸隠に伝わる九頭龍伝説は、この学問という修行僧にまつわる話です。

 

 

戸隠の九頭龍伝説

学問は飯綱山に修行に登り、そこから仏教の栄える場所を求めて持っていた金剛杵(こんごうしょ/密教の法具)を投げると、戸隠山の宝窟に落ちて光を放ったと言います。
学問が戸隠山に登って行ってこの宝窟に辿り着き祈念をしていると、深夜に風が吹き、9つの頭を持った九頭龍が現れました。

 
龍は、仏法が栄え人々を救うこの戸隠山に大伽藍を建てようと学問に告げます。
そしてこの宝窟の中に入り、大きな岩で入口を閉ざしたのでした。
龍が岩の戸で隠れ封じ込められていることから、それ以来この山を戸隠山と言うそうです。

 
なお、戸隠山の名称伝説としては、日本神話の「天の岩戸伝説」で天照大神が閉じこもった岩屋を天手力雄命(あめのたじからおのみこと)が開け、そのとき放り投げた岩戸が落ちたのがこの戸隠山だという伝説があり、天手力雄命が戸隠神社のご祭神になっています。

 
その後、戸隠神社は神仏習合によって密教と神道が混淆し、修験道場である「戸隠山勧修院顕光寺」として多くの修験者や参拝者を集め栄えました。
現在の戸隠神社は、明治の神仏分離令によって寺を分離し神社となったものです。

 
伝説では九頭龍は封じ込められましたが、九頭龍信仰は脈々と受け継がれ、水や農耕の神として信仰を集めて来ました。
ちなみに九頭龍大神はなぜか虫歯を治す神様で、九頭龍は梨が大好物なことから梨を断ってお供えすると治るそうです。
古代には、梨が甘い食べ物の代表格だったのかも知れませんね。
 

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