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鬼伝説はいつ、どこから始まった?鬼の起源を探る!

本
 
桃太郎の物語に代表される伝説のなかの鬼は、いつも退治されたり降参したりする鬼です。鬼は恐い存在、村人を苦しめる悪い者たちとして描かれることが多く、時には人間を食べてしまう存在としても描かれます。

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身体は巨大で頭には角を生やし、口からは牙をむき出している。赤い身体の赤鬼や青い身体の青鬼などがいて、着ているものは虎のシマ柄のパンツ。いまは典型的な姿としてこのように描かれる鬼ですが、必ずしも初めからこのような姿をしていたのではないようです。
それでは日本の鬼は、いつどこから生まれたのでしょうか。

 

日本書紀に記された鬼

現代にまで残る日本で最も古いとされる文献は「古事記」と「日本書紀」ですが、その日本書紀の欽明天皇5年(西暦544年)12月の記事に「彼嶋之人言非人也 亦言鬼魅不敢近之」(その島の人は人ではないと言う。また鬼と言われていて敢えて近づかない)、「有人占云是邑人必為魅鬼所迷惑」(ある人が占いをしてこう言った。必ず鬼のために惑わされると)というものがあります。

ここに出てくる「鬼魅」「魅鬼」がオニと読まれているのですが、これは当時、佐渡島に渡って留まっていた粛慎人(満州に住んでいたといわれるツングース系の民族)のことを鬼と呼んでいるのです。

中国でも鬼という文字は異民族や死者の霊魂を示すそうですが、この日本書紀の記事では自分たちとは異なる民を古来より「オニ」と呼んでいて、そこに「鬼」という漢字をあてたということではないでしょうか。つまり古代日本の鬼とは、妖怪の一員としての鬼ということではなく、自分たちが住んでいる村などの社会の外にいて、自分たちとは異なる文化や習慣を持っているような人たちのことを指していたようです。

 

外の世界からやってくる鬼

また、日本書紀の斉明天皇の葬儀(西暦661年)の記事に「是夕 於朝倉山上有鬼 着大笠臨視喪儀 衆皆嗟怪」(その日の夕方、筑紫の朝倉山の上に鬼がいた。大笠を着て葬儀を覗き見ていたので人々はみな怪しんだ)というものがあります。斉明天皇は当時、唐と新羅に滅ぼされた百済を救うために、現在の福岡県朝倉郡朝倉町にあった筑紫の朝倉宮にいてそこで亡くなったのですが、この葬儀を覗き見ていた鬼がいたという記事なのです。

この鬼については山の民であるとか百済からの移民であるとか諸説があるようですが、葬儀には似つかわしくない「大笠」つまり大きな箕笠をかぶっていたのは、外の世界からやってきた「稀人(客人・まれびと)」の姿を表しているとも言えます。「まれびと」は自分たちの世界とは違う異界からやってきた神または神の使いのような存在の旅人であり、大笠を身につけているというのはその旅人としての象徴です。古代の日本では異界からやってくる神のような存在を、もしかしたら鬼と呼んだのかも知れません。

ちなみに、秋田に現在も伝わるナマハゲの鬼が身につけているのも箕笠であるというのは、決して偶然ではないと言えるのではないでしょうか。

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