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阿用の鬼…現存文献に載る日本最古の鬼はひとつ目の人喰い鬼!


 
現代にまで伝わっている文献で最も古い鬼の記述は、「出雲国風土記」大原郡阿用郷の条の郷名由来譚に載っている「目一鬼(まひとつおに)」の話だとされています。

出雲国風土記は天平5年(西暦733年)に完成し、聖武天皇に献上されたといわれていて、国引き神話など古事記や日本書紀の神話とは異なる神話や伝説が数多く残されています。

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この目一鬼が登場する大原郡阿用郷は現在の島根県雲南市にあった地名で、目一鬼は一般に「阿用の鬼」とも呼ばれています。

古代には日本の各地に鬼の伝説があったのだと思いますが、少なくとも文献に残されたものとしてはこの阿用の鬼が最も古い鬼の記述だということで、日本最古の鬼のひとつと言っていいのではないでしょうか。

 

阿用の鬼は、ひとつ目の人食い鬼!!

阿用の鬼の話はこんな話です。
古老が伝える話では、昔、ある人がこの地の山田を耕して守っていました。するとあるとき、ひとつ目の鬼(目一鬼)がやって来て、その人の息子を食べてしまった。そのとき父母は竹やぶのなかに隠れて身を潜めていましたが、竹の葉が揺れ動いたために鬼に食べられていた息子は父母が自分を見捨てていることを悟って「動、動(あよ、あよ)」嘆いたため、この郷は「阿用」という名前になった。

ちなみに、古語では揺れ動くことを「あよぐ」と言い、竹の葉の「あよぐ」と鬼に食べられる息子の「あよ、あよ」という嘆き声から「阿用」となったということだそうです。

 

阿用のひとつ目鬼とはどんな鬼だったのか

この出雲風土記に登場する目一鬼がいったいどんな鬼だったのか、どこから来てなぜ田を耕す村人の息子を食べたのかなど、その素性はまったくわかりません。

ただ「目一鬼(まひとつおに)」が、神話に登場する製鉄と鍛冶の神である「天目一箇神(あめのまひとつかみ)」と関係があるのではないかとする説があります。名前にある「目一箇(まひとつ)」は「ひとつ目(片目)」という意味であり、鍛冶職人が鉄の色で温度をはかるときに片目をつぶっていたことからや、そのせいで片目を失明することがあったとされることから来た名前だと言われています。また、この出雲をはじめとした山陰地方は古代の製鉄の中心的な地方であったことから、目一鬼は村の外(異界)からやって来た製鉄に関係する人のことであり、製鉄の働き手を村から強制的に連れて行こうとする話だと解釈される説です。

また、卑弥呼が国の統治に「鬼道」を用いたとされるように、託宣を下す神官や巫女のことをひとつ目の鬼として、村の外(異界)の鬼道を用いる者が暴力的に村の財を得ようとした話であるという説もあるようです。

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