古代エジプトの女王クレオパトラの策略とカエサルとの出会い
エジプト最後の女王クレオパトラ7世の父、プトレマイオス12世フィロパトルが亡くなったのは紀元前51年のことです。父の死を受けて、クレオパトラ7世は女王として王位に就きました。このときクレオパトラは18歳。10代の若き女王の誕生でした。
兄弟姉妹婚が伝統のプトレマイオス朝ですので、すぐに弟であるプトレマイオス13世と結婚することになりました。しかし弟はまだ10歳であり、実権はすべて握れるものとクレオパトラは考えていました。
対立する姉と弟
このクレオパトラの思惑に反して、プトレマイオス13世の顧問や側近たちはクレオパトラと敵対する道を選び関係は悪化します。そこでクレオパトラは地中海世界で絶大な勢力を誇り、父の後ろ盾であったローマの力を求めようとしました。
ですがローマでもこのとき、大きな対立が起こっていました。それは、これまで最大の実力者でエジプトの王権を支持していたグナエウス・ポンペイウスと、新たに実力者となったユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)との対立でした。そしてこの対立は、地中海世界を巻き込んだ内戦となる畏れがありました。
この状況の中でクレオパトラは、ポンペイウスに庇護を求めます。そこでポンペイウスは息子のグナエウス・ポンペイウス(父と同じ名前)を兵とともにアレクサンドリアに派遣し、軍資金と軍隊の協力をクレオパトラに約束しました。
このときクレオパトラは、グナエウス・ポンペイウスの愛人になったという説があります。もしそうなら、クレオパトラにとって初めてのローマ人の愛人でした。
アレクサンドリアを追われるクレオパトラ
紀元前48年、プトレマイオス13世が13歳になり成人として認められると、側近で宦官のポティノスたちは王に対して陰謀をはかったとしてクレオパトラを告発し、アレクサンドリアの市民を煽って反乱を起こさせました。
この事件により、クレオパトラはエジプト東部のパレスティナとの国境に逃れ、アラブ人による軍隊を編制します。クレオパトラの帰還を阻もうとするプトレマイオス13世の一派も戦いを挑もうと、ナイル川下流地帯のペルシオンで陣を構えます。しかしその頃、ローマのポンペイウスがエジプトに到来しようとしていたのでした。
ポンペイウスはギリシャ中部テッサリアのファルサロスでカエサルに敗北し、同盟関係にあるエジプトで軍の再編成をしようと考えていたのです。ですが今はアレクサンドリアにはクレオパトラはいません。ポンペイウスを追い払うことのできないプトレマイオス13世の側近たちは混乱をきたし、ついには迎え入れるがカエサルに迎合するためにポンペイウスを暗殺する、という選択をしてしまいます。
こうして、クレオパトラの庇護者で最初の愛人(?)のポンペイウスはエジプトで亡くなってしまったのでした。
カエサルとの演出された劇的な出会い
ポンペイウスが暗殺された数日後、ファルサロスで勝利していたカエサルがポンペイウス軍を掃討するために、アレクサンドリアにやって来ました。そしてカエサルは王宮に入り、ただちにエジプトの混乱を収めるために、対立するクレオパトラとプトレマイオス13世の出頭を命じます。
しかし、ペルシオンでプトレマイオス13世の軍隊と対峙していたクレオパトラは、容易にアレクサンドリアの王宮に入ることができません。そこで彼女は、夜間に家僕をひとりだけ連れて小舟に乗りアレクサンドリアに潜入すると、持って来た寝具袋の中に身体を伸ばして入り込み、それを家僕が革ひもで結んでカエサルのもとに運び入れました。
運び込まれた寝具袋の中から現れる、若く美しい女王クレオパトラ。この大胆な術策はまたたくまにカエサルの心を捉え、クレオパトラはカエサルの愛人となりました。プトレマイオス13世は怒り狂いますが、もはやカエサルの心はクレオパトラにあり、彼女はプトレマイオス13世とともに再びエジプトの共同統治者となったのでした。