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河童が遺したもの(4)河童から伝授された薬

カッパ

 

「河童の詫び証文」や「河童の手」とならんで、河童が遺した代表的なものに「河童の妙薬」というものが日本各地にあります。
この河童の妙薬の話もだいたいが、河童が馬を水中に引き入れる「河童の駒引き」や詫び証文、河童が遺した手などにつながる話で、人間や馬に悪さをした河童がそのお詫びのしるしに、河童一族に伝わる妙薬を渡した、あるいはその作り方を伝授したというようなものです。

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手や腕を元どおりにつなぐことのできる河童の薬

この河童の妙薬で特徴的なのは、河童が切り落とされた、あるいは引っこ抜かれた手や腕を人間から返してもらう替わりに薬を渡すというもので、その薬というのが手や腕を元どおりにつなぐことのできる薬だというのです。

 
別の記事でもご紹介しましたが、河童の左右の手と腕は身体のなかで一本につながっていて、片方を伸ばせば思わぬ長さに伸びるという性質を持っているのですが、どうもその反面、切り落とされたり抜け落ちたりしやすいのです。ですから、河童は手や腕を元のようにつなぐことのできる薬を持っているということなのですね。また河童は相撲が好きですから打ち身や怪我を負うことが多く、そのための薬も持っています。

 
河童から伝授された妙薬として伝えられたものは、そういった理由から骨接ぎや打ち身などに効く薬とされています。また金属や刃物が嫌いな河童らしく、切り傷や火傷など外傷薬が多く伝わっています。

 

 

華岡青洲の弟子が売り出した河童の妙薬

河童が棲むという利根川や霞ヶ浦、牛久沼など茨城県には河童の伝承が多いのですが、この茨城県常陸大宮市上岩瀬に伝わるのが、牛久沼の河童から伝授されたという「岩瀬万能膏」という薬です。

 
江戸時代に世界で初めて、全身麻酔を用いて外科手術を行ったことで有名な華岡青洲の弟子に「真木了本」という人がいます。この人が天明年間の頃(1781年から1788年)に江戸から故郷の上岩瀬への帰り道、牛久沼のあたりを通ったところ、なにやら手のようなものを拾いました。真木了本は医者ですから何だろうと持ち去ったところ、その夜に牛久沼に棲む河童が尋ねて来て「その手を返してほしい」と言います。

 
了本が快く返してあげると河童はそのお礼に、切り傷、腫れ物、膿み出しに効く膏薬の作り方を教えてくれました。
故郷に帰った了本は早速、河童から教わった膏薬を調合し売り出したところ評判となり、この岩瀬万能膏は秘伝の妙薬として代々、真木家の夫人にのみ伝えられているといいます。

 

 

茨城県は河童の妙薬の宝庫?

茨城県には岩瀬万能膏のほかにも、室町時代に現在の行方市芹沢の殿様が、河童が馬を水中に引込もうとしたので手を切り落とすと、河童が泣いて謝ったので手を返したところ、そのお礼に作り方を教えてくれたという骨接ぎや切り傷に効く「筋渡し薬」というものもあります。

 
この話には後日譚があって、加えて河童は毎朝に魚を2匹ずつ庭の木にかけておく約束をして毎日欠かさず続いていたのですが、ある朝魚がかかっておらず殿様が心配して河童を探させたところ、河童が棲む梶無川の上流で手に傷のある河童が死んでいるのが発見されたのだとか。哀れに思った殿様は近くに河童を祀り、これが現在の小美玉市与沢の「手接ぎ神社」です。

 
そのほか茨城県には、同じく小美玉市の鎌田川に棲む河童が伝えた「とげ抜きの薬」と「血の道の薬(婦人病薬)」、那珂市の那珂川の河童が伝授した骨接ぎや切り傷に効くという「金創膏」、鹿沼市の小倉川(現在の思川上流)の河童に相撲で勝って教わったという山形家に伝わる「痔の薬」など、様ざまに河童から伝授された薬があり、茨城はまさに河童の妙薬の宝庫と言えるのかも知れません。

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