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沖縄に伝わる獅子舞と魔除けの守護獣シーサーの関係は?

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本土では「獅子舞」は古くからポピュラーな民俗芸能でしたが、沖縄にも獅子舞があります。この沖縄の獅子舞も「シーサー」なのです。

日本の獅子舞についての記事で、沖縄の獅子舞についてはご紹介できませんでしたので、ここで見てみることにしましょう。

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本土の獅子舞とはひと味違う沖縄の獅子舞

沖縄の獅子舞が本土のそれと大きく異なるのは、獅子頭以外の全身が体毛に覆われた姿をしていることです。基本は本土の「伊勢大神楽」の系統の「ニ人立」と同じように、2人ひと組みで演じられます。

演じられる時期は秋の豊年祭や十五夜祭のときで、1頭の獅子に対して「ワクヤー」と呼ばれる獅子使い役が登場し、ドラや太鼓、笛や三線などの囃子にあわせて棒や鈴の付いた球を持って獅子をあやしたり挑発したりと、賑やかに舞い踊ります。

獅子舞は悪霊を祓い、弥勒世といわれる豊年を招来し、五穀豊穣などの地域の繁栄や子孫繁栄をもたらすためのもので、獅子舞の獅子=シーサーは魔除けの神、村の守護獣ですから、基本的には村の守り神として設置された「村落獅子」と同じ役割を持っています。

 

沖縄の獅子舞は中国から伝来し、やがて独自の民俗芸能になった

沖縄に獅子舞がいつどこから伝来したかについては、はっきりとはわかっていませんが、獅子そのものと同じ時期の13世紀から15世紀頃に、大陸から伝わったのではないかと考えられています。本土の獅子舞が、古代からから伝わっていた伎楽や舞楽、散楽をもとにして16世紀の初めに始まったとされていますから、同じような時代に沖縄の獅子舞も始まったのかも知れません。

現在に伝わる沖縄の獅子舞は、中国の獅子舞である「舞獅」と日本の獅子舞が混ざり合って独自に発展したものだとも思われます。

 

獅子舞の伝播に貢献した京太郎という芸能集団

沖縄の各地域に獅子舞が伝わって行った背景として、沖縄本島南部の具志頭村(現在の八重瀬町)に伝わる伝承にこんなお話があります。

具志頭村玻名城の獅子舞は、旧暦7月13日の夕刻と17日、そして8月15日に行われますが、その由来はこの村のある家が「京太郎(チョンダラー)」から獅子を譲り受けていたことに始まります。京太郎というのは、琉球王国時代に人形を使って芸を演じた門付芸人たちのことで、王都である首里の郊外を拠点に沖縄本島の中部や南部まで足を伸ばして廻っていました。

さて、あるときこの村落に悪い疫病が流行り、死人まで出ます。そこでこの獅子を村の所有物として悪疫追放のために獅子舞を始めたということです。この伝承から、京太郎という芸能集団が村々を廻り、獅子舞を広めて行ったことがわかります。

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