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集団失踪事件を紐解く!ロアノーク島が辿った歴史とは

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アメリカ合衆国のノースカロライナ州に属する島であるロアノーク島。ここはかつてイングランドが世界的に強大であった時代、かつまだ世界中に未開の地、言い換えれば「現代のように世界地図が多くの国々で共有されていない時代」に、大英帝国の植民地政策が、現在のアメリカ大陸にまで拡大してきた際の最初の一歩となった場所です。

この地をターゲットとして、実際に施策を推し進めていた人物は、16世紀当時のイングランドの女王であったエリザベス女王の寵臣であり、探検家・詩人としても知られていたウォルター・ローリーでした。この後、ロアノーク島で「集団失踪事件」が起こることになるのです。

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アメリカ大陸は「新世界」だった

16~17世紀頃は、現代のように世界地図はなく(あっても想像の域を超えてはいませんでした)、当然のごとく人口衛星のような俯瞰的な設備や機能も整っていませんでした。当時存在していたそれぞれの国の目線からすると、外国や「まだ見ぬ地域」という存在は、まさに「今見えている世界とは違う世界」そのものでした。そのため、大航海時代のイングランドでは、未確認の地を「新世界」と呼んでいました。

ウォルター・ローリーは、北アメリカ大陸という「新世界」に、イングランドにとっては初めて植民地を築いた人物として、後世にその名を残している人物です。ローリーが、初めて配下の者にロアノーク島を探検させたのは、1584年のことでした。当初はこの地を、時の処女王エリザベスにちなんで「ヴァージニア」と名付けたそうです。その後、イングランド本土から入植希望者を呼び寄せて、この地に植民を試みました。

 

初回の植民は失敗する

しかし、この時の最初の入植は、失敗に終わります。原因は、当時の入植は農業や製造業による利益追求が主目的だったこともあり、ロアノーク島が農作物を作りにくい土壌であったことや、最初の入植者がそもそも農業の技術を持ち合わせていなかったこと、それからこの地で儲けが出せるような金銀財宝の類が、すぐには見つからなかったことなどがあげられます。

さらには、ロアノーク島には先住者が存在していたにもかかわらず、イングランドからの入植者が、(先に述べたような短絡的な動機であったこともあり)先住者との良好な関係を築くための努力を怠り、先住民との共存が困難になってしまったことも、一回目の入植がうまくいかなかった原因のひとつです。

この失敗を受けて、ローリーは入植戦略の立て直しを余儀なくされ、再入植計画を数年後に置くことになります。

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カテゴリ: その他

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