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消えた開拓者たち!ロアノーク島の集団失踪事件の真相とは?

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1584年、時のイングランド女王であるエリザベス1世の勅許をうけた、詩人にして探検家でもあったウォルター・ローリーは、女王への忠誠をベースに、出世と一攫千金の一挙両得を目論んで、北アメリカにある当時未開のロアノーク島を植民地化しようとしています。

ロアノーク島は現在のアメリカ合衆国のノースカロライナ州デア郡にある、小さな島。ローリー自身がこの島に出向くことはなかったのですが、後に他地域でも植民地化を成功させることになる彼が女王の期待に応えようとしていたことは、この植民地に対して処女だったエリザベス1世にちなんで「ヴァージニア」と名付けたところからもうかがい知ることができます。

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植民地化へのチャレンジは数回にわたりおこなわれたようですが、結局この目論見は失敗に終わります。しかし、この試みはその後400年にもわたって解明されない大きなミステリーを生むことになりました。それが「ロアノーク島の集団失踪事件」です。

 

開拓者が消えた?

1585年の1度目の開拓では、技術者が少なかったり、現地にいた先住民との交渉がうまくいかなかったりといった準備不足を理由に、撤退を余儀なくされています。参加者のほとんどは、ロアノーク島入植以前はアイルランドとの戦いに参加していた古参兵であり、さらに全員が男性であった、といいます。この時の指導者は、リチャード・グレンヒルという人物でした。

早期の撤退を決断した背景には、ロアノーク島を擁する地域であるアウターバンクスに先導船が上陸した際に浅瀬に乗り上げてしまい、用意した食料の多くが失われてしまったこともあったようです。

1度目の開拓の際には特に大きな問題は起こらなかったのですが、最初のチャレンジから2年後となる1587年の入植では、物資を補給するために本体がイングランドに戻っている間に、入植者およそ100人余りが忽然と姿を消してしまった、といいます。

 

本体が本国に戻っていた間に…

もっとも、入植部隊の本体がロアノーク島を離れていた期間はおよそ3年と長く、その長さゆえにさまざまな憶測が語られ、400年以上経過した現在においてもその謎は解明されていません。

失踪の手掛かりとしては、2回目の入植が開始された1587年の3年後の1590年に、物資を積んで本国からロアノーク島に戻ってきた本体が、誰もいないロアノーク島の砦で見つけたという「クロアトアン(CROATOAN)」、および「クロ(CRO)」という文字でした。これらの文字は、砦として築いていた場所にあった木に彫られていた、といいます。

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カテゴリ: その他

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