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ラグナロクが語られているというエッダとは何か

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「神々の黄昏」という、なんとも重々しい意味を持つラグナロクというキーワードは、もともとは北欧神話に端を発する「エッダ」という文献群に出てくる言葉で、その解釈は世界でもさまざまです。

ラグナロクの言葉の意味は古エッダと新エッダで異なり、前者は「神々の運命」、後者は「神々の黄昏」と解釈されているのですが、日本においては、19世紀に活躍した作曲家のヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナーの代表曲のひとつである「ニーベルングの指環」の最終楽章のタイトルが「神々の黄昏」と翻訳されたことから、古エッダのほうの解釈が定着しています。

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17世紀に発見された古エッダ

古エッダは17世紀頃(正確には1643年)に、アイスランドの司教であったブルニョーヴル・スヴェインスソンという人物によって、アイスランド南部のスカールホルトという場所で発見されたといわれています。

この土地は今も現存し、大きな教会と数件の家しかないという過疎地的なところなのですが、歴史的な意義は大きい場所であるようです。

中世の北欧地域においてはアイスランド地方には2つしかなかった司教管区のひとつとして、文化や政治、さらには宗教的な拠り所、いわば文字通りの「北欧の中心地」として機能していたといわれています。

古エッダは、こういった歴史や背景を持つユニークな土地で発見されたのです。

 

13世紀頃に編纂された古エッダ

17世紀に発見された古エッダは、その後の調査で、実は13世紀頃に編纂されたものであるということが判明しています。

調査の中で、元の作者はセームンドル・シグフースソンなる人物ではないかといわれ、一時期古エッダは「セームンドルのエッダ」と呼ばれていたようです。しかし今ではこのセームンドル作者説に否定的な論調が多く、「古エッダ=セームンドルのエッダ」という解釈はほとんどなされていません。

 

数多く存在する小エッダ

中世北欧時代に作成された文書の中には、古エッダと同じエピソードを、同じ古ノルド語という言語で描いた作品が複数あります。「フラート島本」や「ヴォルム写本」、「AM 748 I 4to」、「王の写本」といった文書が該当し、これらは「小エッダ」という総称で呼ばれています。

古エッダより先に発見されている「スノッリのエッダ(古エッダと区別するために、「新エッダ」と呼ばれています)」にも古エッダと同様のエピソードが描かれており、そのいずれにも登場しているのがラグナロク、つまり「神々の黄昏」なのです。

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カテゴリ: その他

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