史上最強の陰陽師・安倍晴明~消された陰陽道と復活の歴史
みなさんは「陰陽師(おんみょうじ)」をご存知ですか? また、平安時代に活躍した史上最強の陰陽師「安倍晴明(あべのせいめい)」の名前を知っているでしょうか?
陰陽師といえば、安倍晴明を主人公とした夢枕獏氏の小説『陰陽師』が今も巻を重ねていますし、この小説を原作としてマンガ、映画、テレビドラマにもなりました。そのほかにも陰陽師や安倍晴明が登場する小説、マンガ・アニメ、ゲームなどが数多く世に出されています。
呪術を駆使し、手足となる「式神(しきがみ)」を操って、この世のものではない邪悪な存在を相手に戦う陰陽師。そんな日本の魔術師ともいえるようなイメージを、現代のわたしたちは安倍晴明に抱いているのではないでしょうか。
しかし陰陽師は、じつは一般の人々には長く忘れ去られた存在だったのです。
明治政府が禁じた陰陽道
陰陽師とは、もともとは古代の飛鳥時代(7世紀後半)より朝廷に設置された「陰陽寮(おんみょうりょう)」という天文、占星術、暦や時刻を司る役所に所属する人たちでした。つまり陰陽師とは技術職の官人、現代で言う技官だったのです。その技術や考え方、思想の中心にあったのが「陰陽道(おんみょうどう)」というものでした。
陰陽道や陰陽師の仕事の内容については、またあらためて別の記事でご紹介しようと思いますが、時代が下って武家の世の中になり朝廷のチカラが衰えると、陰陽師の影も薄くなって行きます。そして近代となり、明治維新によって科学や技術をはじめとした西洋化が一挙に進むと、できたばかりの明治政府はなんと古代からの陰陽寮を廃止し(明治3年)、陰陽道は禁止されてしまったのです。
これは陰陽道が近代科学導入の妨げになり、また純粋な神道ではないということが理由だったそうですが、朝廷から排除され政府から禁じられてしまった陰陽道とそれを行う陰陽師は、人々の視界や記憶から消え去って行きました。
平成に蘇った謎多き陰陽師
戦後になって陰陽道を禁止する法令はなくなりましたが、陰陽師という存在はごく一部を除いていなくなってしまっていました。長い間、陰陽師も安倍晴明の名前も、誰も知らなかったのです。
それが平成の時代になり突如復活します。様々な小説や映画、マンガ・アニメ、ゲームに登場するヒーローとなって、一躍ブームにまでなりました。その復活に大きく貢献したのが、荒俣宏氏の小説で映画にもなった『帝都物語』だとされています。
帝都物語では、帝都・東京の壊滅を目論む悪の魔人である加藤保憲に対抗し戦うひとりが、古代から続く陰陽師の一族「土御門(つちみかど)家」の総帥、平井保昌という人です。平井保昌は架空の人物なのですが、土御門家とは実際にある陰陽師の名家。そしてその源流は、まさに安倍晴明なのです。
ちなみに、明治時代の陰陽師として設定された平井保昌と、同じ名前を持つ貴族が平安時代にもいました。本名は藤原保昌という10世紀から11世紀に実在した人物で、この人の名前が知られているのは当時の有名な盗賊である袴垂(はかまだれ)に関係し、また大江山の鬼・酒呑童子(しゅてんどうじ)を討伐した6人のうちのひとりだったと伝えられているからです。
それはともかくとして陰陽師は現代になって蘇り、わたしたちの前に再登場しました。しかし陰陽師や陰陽道、そしてその代名詞とも言える最強の安倍晴明には、一般にはまだまだあまり知られていない数多くの謎があるのです。