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超能少年だった!?安倍晴明、その才能が見い出されるまで

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安倍晴明がいつどこで生まれたのかは、はっきりせずに謎に包まれたままです。特に誕生年については、没年から推定した延喜21年(921年)という説、誕生秘話の伝説である「葛の葉伝説」に見られる村上天皇の時代(946年より967年まで)の頃、または天慶7年(944年)とする説など、20年以上の違いがあります。

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安倍晴明が初めて『本朝世紀』という公的な記録に登場するのが天徳4年(960年)で、そのとき晴明はまだ天文博士を目指す「天文徳業生」ですが、当時最高の陰陽師であった「賀茂忠行」、またはその息子で陰陽頭の「賀茂保憲」の弟子であったと言われています。ちなみに賀茂忠行は、この天徳4年に亡くなったという説があります。

さて延喜21年(921年)の生まれならこのとき39歳、天慶7年(944年)だとすると16歳の晴明ですが、それまでの少年~青年時代の記録はまったくなく、どこで何をしていたのかは謎のままです。

 

幼少より聡明で不思議な少年だった安倍晴明

安倍晴明の母は信太の森に棲む白狐の「葛の葉」だったという伝説では、幼少期から美しく賢いと同時に、少々変わった少年であったと言われています。「葛の葉伝説」にもいくつかのバリエーションがあるのですが、安倍晴明の子孫である「土御門家」の「天社土御門神道」に伝わると言われる『安倍仲麻呂生死流傅輪廻物語』によると、晴明が童子丸という名の幼少期にはクモやゲジゲジ、イナゴなどを見つけると食べてしまうという奇妙な性癖があったそうです。

この『安倍仲麻呂生死流傅輪廻物語』では、人形浄瑠璃や歌舞伎の「芦屋道満大内鑑」と同じように晴明の父の安倍保名は賀茂保憲の弟子で、無実の罪で相模国に流された賀茂保憲の娘である葛子がひとり保名のもとにやってきて結ばれますが、じつはその葛子は白狐が化けたもので、晴明が生まれたあと賀茂保憲と本物の葛子がやって来ると正体を現して森へ帰ったという設定になっています。

 

大陰陽師・賀茂家の弟子となる

賀茂保憲は延喜17年(917年)の生まれですから、晴明が天慶7年(944年)生まれとしてもそのときまだ27歳で、保憲の娘と安倍保名が結ばれて晴明が生まれたとするには無理があります。また賀茂保憲が相模国など東国に流されたという記録も見当たりません。

しかし、晴明の父(葛の葉伝説では安倍保名、家系図では安倍益材)と陰陽師の賀茂家との間に何らかのつながりがあり、異能を持った少年・童子丸はなるべくして陰陽師の家の弟子となったのではないかと考えられます。

賀茂氏は、神武天皇の東征の際に「八咫烏」に変身して導いた「賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)」を祖神とし、上賀茂神社・下鴨神社の祠官家となった系統や、大国主と同じとされる大和国・三輪山の神「大物主神」の孫の「大鴨積」を始祖とする三輪氏族系などいくつかの系統があります。陰陽師・賀茂忠行、賀茂保憲の親子は三輪氏族系ですが、藤原氏の壬生家に伝わる賀茂家の系図などでは、陰陽師の賀茂氏は奈良時代の遣唐使の留学生として著名な「吉備真備」を祖とするという説もあります。安倍晴明の伝説では、安倍家と賀茂家がそれぞれ遣唐使の留学生であった「阿倍仲麻呂」と「吉備真備」の大陸での因縁から、つながりがあったとしています。

いずれにしろ少年・童子丸は、当時の大陰陽師であった賀茂忠行、賀茂保憲親子の弟子となり、その才能・異能を見出されることになったのでした。

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