> >

アレキサンダー大王の生い立ちとアリストテレス

円柱とあさがお9
 
紀元前330年頃の昔、古代ギリシアはアルゲアス朝マケドニア王国のバシレウスであったアレキサンダー大王は、現在でも世界三大英雄のひとりとして、時の君主や大人物の功績との比較や比喩などで、たびたび引用されています。しかし、アレキサンダー大王自身がどういう人物なのか、その生涯はどのようなものだったかは、意外と知られていません。ここでは、アレキサンダー大王の生涯を紹介していきます。

スポンサードリンク


 

ピリッポス2世の子として誕生

アレキサンダー大王は、紀元前359年から紀元前336年、つまり彼が王となる前のアルゲアス朝マケドニア王国のバシレウスであったピリッポス2世(フィリッポス2世と表記される場合もあります)と、当時のギリシアはイオニア海沿岸の王国であるエペイロス(またはイピロス)の王女であったオリュンピアスの間に、紀元前356年7月に誕生しています。 ピリッポス2世は、ギリシア神話の半神半人の英雄であるヘラクレスを祖に持ち、オリュンピアスは、同じく神話に登場するアキレウスを祖に持つ、とされていますので、アレキサンダー大王(=アレクサンドロス3世)は、生まれながらに大変に高貴な身分を保証されていた、といえます。当時のギリシア随一の家系的栄誉に恵まれ、いわば「王の中の王」という存在として、後年の大成功をおおいに期待された誕生であったのです。

 

家庭教師はアリストテレス

アレキサンダー大王が十代であった紀元前342年からの2年間は、現在でも非常に有名な賢者のひとりであるマケドニア人の学者のアリストテレスを家庭教師としていました。先ほどお話した血筋もさることながら、教育のほうも当時としては超一流の環境を与えられていた、と考えられます。

後年アレキサンダー大王自身が「高貴に生きることはアリストテレスから学んだ」と述べているように、この時期家庭教師として接していたアリストテレスには、多大な影響を受けているようです。また、当時同じようにアリストテレスから学んでいた学友達は、アレキサンダー大王が国王になったのち、将軍などの要職について、彼の王国統治や世界制覇を支えました。

アレキサンダー大王がもっとも尊敬していたと思われるアリストテレスとの交流は、アレキサンダー大王の晩年まで続き、世界制覇の道中で遠征しているさなかにも動物や植物をアリストテレスに送ったり、アリストテレスが国王としての心得である「王道論」や「植民論」といった帝王学を書き記して、アレキサンダー大王に送ったりしていた、とのことです。

このエントリーをはてなブックマークに追加


スポンサードリンク
スポンサードリンク

カテゴリ: その他

Comments are closed.