> >

8.破壊されたゼウス像。誰が何の意図で巨像を壊したのか?

オリンピアのゼウス像

 

現在のトルコはインタンブールにあり、世界遺産として登録されているオリンピア遺跡は、紀元前435年頃に建造されたといわれている、ギリシャ神話の世界の最高位の神である、ゼウス神を祀るゼウス神殿の跡と、その中に奉納されていたといわれるオリンピアのゼウス像の跡を含んでいる、とされています。
ゼウス神殿、ゼウス像ともに、今では跡しか存在していないのですが、両建造物は、どのような経緯で消滅してしまったのでしょうか。

スポンサードリンク

 

 

5世紀頃に異教徒に破壊された?

消滅してしまった理由としては、「5世紀頃に異教徒の手によって破壊された」、との説が有力です。
もとは紀元前5世紀頃に建造され、その後当時のローマ帝国の遷都や、国教の変移(多神教からキリスト教へ、西暦400年頃に変わっています)の影響から、ゼウス像はオリンピアから当時のローマ帝国の首都ビザンチウムへ移動されたのですが、移動と前後して、ローマ帝国はキリスト教を国教として定めています。

 
ゼウス像は、古代ギリシャであがめられていた神の象徴であるため、キリスト教的な像ではなかったこともあり、像が存在しているゼウス神殿ともども、5世紀に入って破壊されてしまった、とされています。

 

 

アテネのゼウス神殿は3世紀頃消滅

記録によると、ゼウス神殿は2度、別のタイミングで破壊されています。
1度目は、アテネのゼウス神殿が、3世紀頃にヘルール族の侵入(ゲルマン人の放浪部族で、3世紀~5世紀頃に、東ゴート族、フン族、東ローマ帝国にそれぞれ征服されています)によって破壊され、その後は国教の変移も相まって、修復されることはなかった、といいます。
現在見られる姿(柱のみが現存)は、既にこの時点で形作られたままである、ということのようです。

 

 

ローマ皇帝による破壊

そして2度目、こちらはオリンピアのゼウス神殿の破壊についての記録によれば、異教徒による破壊ではなく、5世紀頃に、ローマ帝国の時の皇帝であるテオドシウス2世による指示のもと、破壊されています。
既に完全にキリスト教国となっていたローマ帝国において、ゼウス神を祀る神殿は、異教神殿として標的になっていたと思われます。

 
ゼウス像は、394年にオリンピアからビザンツ帝国の首都コンスタンティノポリスに移されていますので、2度目の破壊と前後して消滅したもの、と考えられます。
さらに当地は、6世紀になって2度の大きな地震に見舞われ、世界の七不思議にもあげられた建造物は、完全に廃墟と化してしまった、とのことです。

このエントリーをはてなブックマークに追加


スポンサードリンク
スポンサードリンク

カテゴリ: その他

Comments are closed.