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世界の七不思議、アレクサンドリアの大灯台の建設と崩壊

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古代ギリシャの時代に定着した「世界の七不思議」に、当初入っていなかったというアレクサンドリアの大灯台は、現在エジプトの第二の都市(一番大きな都市はカイロ)となっている、アレクサンドリアにあるファロス島のランドマークとして、紀元前280年頃に創建されました。

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建てられたのは人口の埋立地

アレクサンドリアの大灯台は、ファロス島と、一番近い陸地であるアレクサンドリア港との間に作られた通路の周辺に作られました。現在では一般的である埋め立て技術が、紀元前300年の昔にもおこなわれていたことは驚嘆に値しますが、アレクサンドリアの大灯台そのものも、当時としては驚異的な大きさの建造物であり、高さ約130メートルという大きさは、地球上でもっとも高い人工物のひとつだった、と考えられます。主な素材は石灰岩(総大理石という説もあります)であった、という記録が残っています。

 

内部には螺旋階段が設置されていた

アレクサンドリアの大灯台は、3つのセクションで構成された建造物であり、土台のうえに四角柱のパーツを立て、そのうえに八角柱の中層部、一番上には円柱形の塔を立てるという、当時としては斬新なデザインが採用されました。てっぺんには鏡が設置されていて、日中には太陽光を反射させて光を放ち、夜間は炎によって灯台の役目を果たしていた、といいます。当時作られた古代ローマのコインには、その姿が描かれています。内部には螺旋階段が設置され、大灯台の頂上に昇るために使われていた、といいます。

 

1480年に完全に姿を消す

現在ではその姿は残っていないアレクサンドリアの大灯台ですが、創建から1000年近くは、灯台として機能していた、といわれています。796年に起こった地震により半壊したあと、その後1303年と1323年と、2度にわたって起こった地震により、完全に倒壊してしまった、とのことです。14世紀頃は、まだ痕跡は残っていたと思われ、旅行家であるイブン・バットゥータ(1300年代のマリーン朝のベルベル人で、探険家としても知られていました)が、「灯台が崩壊しているため、中に入ることができない」との記録を残しています。1480年頃には、大灯台の残骸を再利用する形で、当時栄えていたマムルーク朝のアシュラフ・カーイトバーイによって、カーイト・ベイの要塞が建造されるにいたり、アレクサンドリアの大灯台は、完全に姿を消しました。とはいえ世界の七不思議の中では、現存するギザのピラミッドとともに、もっとも近年まで残っていた建造物であった、とされています。

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カテゴリ: その他

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