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竹取物語を読み解く~かぐや姫が光る竹の中にいた理由とは?

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日本には古代から巨人の伝説がある一方で、小さな英雄や神様のお話があります。よく知られているところでは「一寸法師」。わずか1寸(約3cm)の背丈で鬼退治をするヒーローです。

古事記や日本書紀には「少名毘古那(すくなひこな)」という神様が登場しますが、天地開闢の初めに現れた「造化の三神」と呼ばれる神様のうちの、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)または神産巣日神(かみむすびのかみ)の子とされ、蛾の皮を服にして着てガガイモという植物の実の殻でできた舟に乗って「常世の国」からやって来たという、とても小さな神様です。この少名毘古那は、「大国主命(おおくにぬしのみこと)」と共に日本の国造りをします。

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このように小さな神様の存在は古代から伝えられて来たのですが、『竹取物語』のかぐや姫も光る竹の中から現れたときの背丈は3寸(約9cm)。まさにこの世の人とは違う、小さな主人公のひとりです。

 

光る竹からこの世に現れたかぐや姫

ところで、かぐや姫はどうして光る竹の中から現れたのでしょうか?

その謎を考える前に、かぐや姫を見つける竹取の翁(おきな)はどうして光る竹を発見できたのでしょう。それは実は竹を伐りに行ったのが、月の出ない新月の夜だったからなのだそうです。竹取の翁は、竹細工の竹を伐るのを仕事にしています。この竹細工の良い材料となる竹は、新月のときに伐ったものなのと言われています。
ですから竹林は真っ暗で、わずかに光る竹を発見できたのだとか。ちなみに光る竹とは、スズメタケという発光する小さなキノコが竹に寄生していたから、という説もあります。

さて竹取の翁が光る竹を割ってみると、中に3寸の背丈のかぐや姫がいました。
おそらく竹の節と節との間の空洞の部分に納まっていたのですが、この節と節との間のことも漢字では節と書いて「よ」と読みます。節を「せつ」と読めば「節分」のように区切りのことですが、「よ」と読めばその区切りと区切りの間の空間。「よ」を「世」と考えれば、竹の中の空洞の「よ」は、人が生きる「現世」と別の世界の「常世」の区切りの間の空洞の世界なのかも知れません。

 

かぐや姫が竹の中にいたわけとは?

民俗学の折口信夫は、「魂は木や竹の中に入って成長する」と唱えたそうです。つまり、竹の中に魂が生まれたのではなく、どこかから竹の中に魂が入って来たわけです。そして、その魂は節と節とに区切られた空洞の「よ」の中でじっとしているのです。

日本では古代から「物忌み(ものいみ)」という、ある期間は日常的な行動を控えてなるべくじっとして、穢れを避けたりまたは自分の穢れを抑えたりする行為があります。かぐや姫も竹の中の真っ暗な空洞である期間じっとして物忌みをし、魂が成長するのを待っていたということになります。

それではかぐや姫はなぜ、じっと物忌みをして魂の成長を待っていなければならなかったのでしょうか? それは、かぐや姫が実は現世とは異なる常世である月の世界で罪を犯したからなのですが、それがかぐや姫の口から告白されるのはまだ先のことです。

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