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「天狗になる」「鼻が高い」…天狗は自慢、高慢の象徴!?

天狗
 
慣用句で「天狗になる」という言葉があります。
「あの人はほめると、すぐ天狗になる」といった使い方をしますよね。いい気になってうぬぼれ、得意になったり自慢したり。謙虚さに欠けていて、増長してしまうタイプの人の態度を表すときに「天狗」という言葉が使われるのです。
それはどうしてなのでしょうか?

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天狗は、もともとは中国から来た妖しいもの。流星のように空を飛ぶ犬(狗)のような姿をしているらしい妖怪でした。しかし、その中国の天狗は日本では定着せずにいったん消えてしまい、やがて平安時代頃に日本独特の天狗が登場します。
「天狗になる」という言葉のもとになった天狗は、どうやらこの平安時代の天狗から来ているようです。

 

慢心した修験者や僧が天狗になってしまった

日本の天狗のルーツがどこにあるのかは、古来からある山の神や山岳信仰とも絡んでなかなか難しいのですが、平安時代には慢心した=驕り高ぶってうぬぼれてしまった仏教の修験者(山伏)や僧侶が、天狗という妖怪になってしまうとされるようになりました。
慢心した修験者は、死んで後に「天狗道」という魔界に転生してしまい、仏教における輪廻の世界である「六道」から外れてしまいます。つまり「外道」に堕ちてしまうということなのだそうです。六道のうち人間がいる世界は「人間道」なのですが、そこにいることはできず、もちろん神々のいる「天道」に行くことはできません。かといって特に罪を犯したわけではないので、「修羅道」「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」に堕ちることもないのです。
このように天狗というのは、仏教の道を歩んでいたにも関わらず、あまりにも慢心が過ぎて仏教の世界から外れて魔界に堕ちてしまった妖怪という姿ができていきました。

 

天狗は自慢したがりで教えたがり

天狗の鼻が高いのは、その慢心の象徴だともされています。何かにつけてものを知っているのを自慢し、とかく人間に対しては教えたがる性質を持っているとも言われています。なにしろ自慢、うぬぼれ、慢心の度が過ぎて天狗道に堕ちてしまった妖怪ですから、自信満々でかつおせっかいなところもあるというわけです。
「天狗になる」という慣用句は、学問を修めている修験者や僧が高慢に陥ってしまうのを戒めるために、こういった天狗の性質をふまえてできた言葉なのだということです。
また「鼻が高い」という言葉もありますね。「息子が出世して、私も鼻が高い」といった使い方をしますね。こちらはそれほど悪い意味としては使いませんが、やはり天狗の高い鼻から来ているようで自慢や得意といったことを表しているようです。
「あいつは名門大学出身なのを、すぐに鼻に掛ける」といった「鼻に掛ける」という言葉も、語源としては別の解釈もあるようですが、「掛ける」は高いところからぶら下げるという意味ですから、同じように天狗の慢心から来た言葉かも知れません。

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