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日本で最も有名な鬼を迎える行事「ナマハゲ」の意味、由来とは?

鬼 節分 豆まき
 
毎年2月3日の節分には「鬼は外」と豆をまいて鬼を追い払います。ですが逆に鬼を迎え入れる民俗行事として日本で最も有名と言っていいものに、節分行事ではありませんが秋田の「ナマハゲ」があります。

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ナマハゲは、どなたもいちどはテレビなどで見たことがあるかも知れません。秋田県の男鹿市と三種町、潟上市の一部では、大晦日の夜に「悪い子はいねがー、泣く子はいねがー、親の言うことを聞がね子はいねがー」などと大声で叫びながら、ナマハゲに扮したそれぞれの集落の青年たちが地域の家々を巡ります。なお、昔は大晦日ではなく小正月(1月15日)の行事として行われていました。

それでは、本来は払って近づかないようにするはずの鬼=ナマハゲを、この行事ではどうして家々が迎え入れる行事として伝わってきたのでしょうか。

 

ナマハゲの名前の由来

ナマハゲはどうして単純に鬼という名前ではなく、ナマハゲという名称になったのでしょう。
これについては一般的に、こういう由来が定説になっています。冬に囲炉裏を囲んで長く暖をとっていると手足にできる火斑(ひだこ、赤いまだらの模様)を、この地方の方言で「ナモミ」と言います。そこから、冬に暖かい囲炉裏端を離れないで怠けていることを戒めるために、「ナモミ剥ぎ」つまり囲炉裏端から離すということから「ナマハゲ」になったのだそうです。ナマハゲのほかには、「アマハゲ」「アマメハギ」「ナモミハギ」とも呼ばれます。

 

ナマハゲの起源は鬼の物語と言われているが…

ナマハゲの起源には諸説があります。
男鹿の本山、真山は修験道の霊場であり、そこで行を行う修験者が村に下りてきて家々をまわったという説。
海から男鹿半島を望むと日本海に浮かぶ山のように見え、山の神が鎮座するところとして敬われていた。ナマハゲはその山の神の使いという説。
漂流して男鹿に流れ着いた異国の人が鬼のように見え、その異邦人がナマハゲとなったという説、などです。

 

武帝の5匹の鬼と999段の石段

また、いまは定説とされている伝説に「武帝の5匹の鬼と999段の石段」という物語があります。
中国の漢の時代と言いますから紀元前2世紀頃、漢の皇帝である武帝が5匹の鬼(コウモリを鬼に変身させたという話もあります)を従えて男鹿にやって来て、鬼たちを働かせていました。ある日、鬼達は武帝に休みがほしいと訴え、武帝が正月の15日(小正月)に休みを与えると鬼たちは村に行って田畑を荒らし、娘をさらい、村人をさんざんに苦しめていました。

困った村人は武帝に「鬼たちに、海辺から山頂の五社堂まで千段の石段をひと晩で築かせたら毎年ひとりずつ娘を差し出すが、できなかったらもう鬼を村に来させないでほしい」と願い約束をさせます。
しかし鬼たちはどんどん石段を築いていってしまい、あと少しで千段に届いてしまいそうになったので、あわてた村人は999段のところで一番鶏の鳴き声を真似て夜明けを告げると、鬼たちは驚いて逃げ去った、というお話です。

このお話でも、強い力を持った者(武帝)に仕え働く鬼、人々を苦しめ退治はされないが追い払われる鬼ということで、典型的な鬼の伝説の要素が入っていますが、それがなぜ怠け心を戒めるナマハゲになったのかは、もうひとつはっきりとはわかりません。

 

ナマハゲが戒めるのは子供たちだけではない

大晦日に家々を巡る鬼たちを迎える民俗行事、ナマハゲについてもう少しご紹介してみましょう。
ナマハゲは大晦日の夜(昔は1月15日の小正月)に鬼たちが大声で叫びながら村の家々を巡って、子供たちの怠け心を戒めます。またナマハゲは子供たちだけではなく、「ここの家の嫁は早起きするがー」と、その家が迎えたお嫁さんをも戒めます。

つまりナマハゲは、子供やお嫁さんというその家にとっての新しい構成員を戒めの相手としているわけです。
また戒めるだけでなく、無病息災や田畑の実り、山と海の幸など、年の変わり目に福をもたらすものとして敬われ、家々では料理やお酒を用意して丁寧にもてなします。

これは季節の変わり目に邪気を払い、福を招き入れる節分の豆まきと意味合いはとてもよく似ています。しかし「福は内、鬼は外」ではなく「福は内、鬼は内」ですから、鬼の扱いが正反対に違うのです。

 

ナマハゲはどんな格好をしているのか

ところでナマハゲはどんな格好をしているのでしょうか?
男鹿市では約60ヶ所の集落でナマハゲの行事が行われていて、かぶる仮面の顔かたちなどそれぞれの集落に伝わる伝承によって、バラエティに富んだものになっているようです。

基本的には鬼の面をかぶり、手にはナマハゲの語源となった囲炉裏に長い時間あたってできる「ナモミ(火斑)」を「剥ぐ」(怠け心を戒める)、ナモミ剥ぎの出刃包丁や神の使いのしるしの御幣を持っています。
身につけているのは、「ケデ」または「ケラミノ」「ケンデ」「ケダシ」と呼ばれる藁でできた蓑(ミノ)の衣装。足には「ハバキ」と呼ばれる藁で編んだすね当てをつけ、藁ぐつをはいています。

 

ナマハゲは福をもたらす稀人(マレビト)なのか

先ほどご紹介したように、ナマハゲの起源の諸説には修験者という説、山の神の使いという説、異国から流れ着いた異邦人という説、そして漢の武帝が使役した5匹の鬼の物語から来た説などがありました。

これらを昔から伝承されたナマハゲの姿と重ね合わせると、確かに顔(お面)は鬼の顔で赤鬼や青鬼がいるようですが、典型的な鬼の格好である虎のシマ柄の衣装ではありません。特に身につけている「ケデ」は藁でつくられた蓑笠の蓑で、蓑笠は雪国の防寒用の衣装であると同時に古来より神に姿をやつす神聖な道具とされた衣装です。

 

かつては神聖な衣装だった蓑笠

日本書紀の「天武紀」には、この神聖な衣装である蓑笠を着て屋内にいることを勅命で禁じた、という記述もあります。それはどういうことかというと、屋内に入って蓑笠を脱がないと神または神の使いである「稀人(客人・マレビト)」と間違うから、ということだからなのです。

別の記事で紹介した日本書紀に記された斉明天皇の葬儀に現れた鬼は、葬儀の場に似つかわしくない大笠を身につけていました。

また、ナマハゲは、ケデ=蓑を身につけたまま脱がずに家々の中に入ります。更に、すねのハバキは遠方から来たことを、藁ぐつも雪の中を遠くから歩いてきたことを表しています。

「稀人(マレビト)」は、その地域や場所とは異なる異界や他界から来訪して福をもたらす神や神の使い、霊的な存在と考えられていて、村やその地域を訪れると人々は歓待する存在でした。
秋田のナマハゲである鬼も、福を異界から持って来るマレビトだったのでしょうか。

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