> >

万葉集に収められている浦島伝説を題材にした長歌

浦島伝説

 

「万葉集」は、「古事記」「日本書紀」や全国各地の「風土記」がまとめられたのと同じ頃、奈良時代の7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂された日本最古の和歌集です。
じつはこの万葉集に、日本書紀や丹後国風土記と同じように、浦島太郎の物語の原型となる浦島伝説を題材にした長歌があるのです。
それは、奈良時代の歌人である高橋虫麻呂という人の作品。万葉集には虫麻呂の歌が34首ありますが、そのうちの「詠水江浦嶋子一首」というものが浦島伝説を題材にしています。

スポンサードリンク

 

 

浦島伝説の舞台は、丹後半島ではなく大阪!?

虫麻呂が詠んだ長歌の浦島伝説も、主人公は浦の嶋子です。ですから、おそらく日本書紀や丹後国風土記ともとの伝説は同じだと思われますが、この歌の冒頭は次のように詠まれています。

「春の霞(かすみ)がかかるある日に、住吉(すみのえ)の岸に出て海上に釣り船が揺れ動いて通るのを見ていると、昔のことが思い浮かぶのです」

このあとに浦嶋子の物語が続くのですが、虫麻呂が詠うのは「住吉」の岸。住吉とは摂津の住吉で、つまり現在の大阪市住吉区・住之江区のこと。平安時代の頃より以前には住吉を「すみのえ」と読んでおり、澄んだ入江という意味です。

 
古代の大阪は、上町台地で大阪湾と隔てて河内湖という大きな湖があり、また大阪湾の岸も現在よりもずっと内陸にありました。縄文時代にはこの河内湖は大阪湾とつながっていて河内湾になっており、上町台地は半島でした。その上町台地の付け根あたりに、神宮皇后摂政11年(西暦211年?)の創建と伝えられる「住吉大社」があり、虫麻呂が詠った「住吉の岸」とはこのあたりのことです。
ということは、浦島伝説の舞台は瀬戸内海と摂津なのでしょうか。

 

 

浦島伝説の海は瀬戸内海だったのか?

これについては、虫麻呂が住吉の岸で浦島伝説に思いを馳せたという解釈もありますが、常世の国の海神の娘(丹後国風土記の亀姫)のもとから故郷へ帰った嶋子の話の部分では、「住吉(すみのえ)に帰って来ても、自分が住んでいた家は見つからず、里(故郷の村)も見つからないので怪しく思い」とありますので、虫麻呂は浦島伝説をやはり摂津の住吉を舞台とした物語として詠んでいます。
日本書紀、丹後国風土記、万葉集とほぼ同時代にまとめられたものですが、片や日本海と丹後半島が舞台でもう一方は瀬戸内海と摂津・住吉が舞台となっているのは、どうしてなのでしょう。

 
じつは、浦島伝説というのは日本各地に伝わっていて、同じ瀬戸内海では香川県の荘内半島(三豊市詫間町)にも浦島伝説があります。これはかつて荘内地区が浦島と呼ばれていたことがあり、そのほかにも浦島伝説にちなむ地名が古くから残っているからだとか。ですから瀬戸内海の、もうひとつの浦島伝説ということになります

 

 

住吉三神と浦島伝説には関わりがある?

さて、万葉集の虫麻呂の浦島伝説の舞台と思われる住吉には、それに関わる重要な場所があるのを忘れてはいけません。それが「住吉大社」です。
住吉大社の祭神は「住吉三神」と呼ばれる「底筒男命(そこつつのおのみこと)」、「中筒男命(なかつつのおのみこと)」、「表筒男命(うわつつのおのみこと)」の三柱で、それとともに伝説の女帝である神宮皇后が祀られています。

 
この住吉三神は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が死者の異界である黄泉の国(よみのくに)に行ってしまった伊邪那美命(いざなみのみこと)を連れ帰ろうとして果たせず、現世に帰って川から海へ流れる落ち口で洗い清める禊(みそぎ)を行ったときに生まれた神で、底筒男命は瀬の深いところから、中筒男命は瀬の中ほどから、表筒男命は瀬の水面から生まれました。つまり水の神であり、海と航海の神とされています。
浦嶋子が祭神となっている丹後半島の「網野神社」(京丹後市網野町)にも住吉三神が祀られているのですが、この神様との関係が虫麻呂の浦島伝説の舞台を住吉としたのかも知れません。

このエントリーをはてなブックマークに追加


スポンサードリンク
スポンサードリンク

Comments are closed.