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古事記・日本書記の謎:7世紀後半から8世紀初頭にかけて国の事業として編纂活動をした歴史資料

古事記・日本書紀

 

1.はじめに

古事記と日本書記(以下記紀と略称)は、7世紀後半から8世紀初頭にかけ、国の事業として編纂活動をした歴史資料です。ならば、日本国の続く限り、国として維持活動を続けて欲しいと思います。本稿では、内容には立ち入らず、外観・構造の観点から記紀の姿と疑問の幾つかを紹介します。

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2.古事記

(1) 編纂の契機
諸家が所持する帝皇の日継と旧辞などが事実と違っているようなので、舎人の稗田阿礼に調べて誦習するよう天武天皇が命令したとあります。

 
(2) 完成時期
元明女帝の712年とされます。

 
(3) 編者
稗田阿礼に誦習させたものを太安麻侶が記したとされます。

 
(4) 構成
神代を扱う上つ巻、神武天皇から応神天皇までを扱う中つ巻、仁徳天皇から推古天皇までを扱う下つ巻の3巻からなります。

 
(5) 内容
上巻は、イザナギ・イザナミによる国生み、アマテラスとスサノウの誓約(うけい)、アマテラスの岩戸隠れ、スサノウによる養蚕や穀物の伝授やオロチ退治、大国主の白兎の物語、国譲り、天孫ニニギの降臨など、中巻は神武から応神天皇まで、下巻は仁徳天皇から推古天皇までを扱います。

 

3.日本書紀

(1) 契機
書紀には成立の経緯について明確な記載はありません。天武10年(681年)に川嶋皇子と忍壁皇子らに帝紀と上古の諸事を記録することを命じたことは記載されています。

 
(2) 完成時期
元正女帝の720年に完成とされます。

 
(3) 編者
舎人親王らの撰集したものを太安麻侶が書き記したとされます。

 
(4) 構成
唐音漢語で書かれた30巻の書物です。各巻は以下の分担で帝紀(両親、皇后や妃などと皇子・皇女の記述)を筆頭にして事績が編年体で記されています。巻1-2は神代、巻3は 神武、巻4-13は 綏靖から安康、巻14-16は雄略から武列、巻17-19は継体から欽明、巻20-21は敏達から崇峻、巻22-23は推古と舒明、巻24-27は皇極から天智、巻28-29は天武、巻30は持統に充てられています.

 
(5) 内容
天皇の治世の事績を年月順に記載しています。古事記に比べ記載量は膨大です。物品の種類のほか、その数、人数、暦日などの数字が具体的なことも驚きです。膨大な資料収集とその選定に加え、記載事項の選定や妥当性の検証に膨大な人手を要したはずです。少数の者が数年の帰還で完成させられるものではありません。

 

 

4.疑問・謎

(1) 太安麻侶は古事記の編纂を命じられる前に従四位下民部卿に任じられます。しかし、古事記や日本書記の編纂後も、死した後も位階はそのままです。功と認められなかったか、認める人が死亡したかのいずれかです。

 
(2) 同時代に古事記と日本書紀の2書を編纂したのは何故でしょう。古事記は国内向け、書紀は唐や新羅などの国外向けという説があります。文献[3]で、井沢元彦は「記紀」は合わせ鏡の関係だといいます。

 
(3) 「持統」は頻繁に吉野に行幸します。文献[6]では男女関係としていますが、文献[5]では役行者と丹砂を含む金属資源の交渉に加え、自身と孫の健康増進を理由にします。孫の「軽」が即位(文武天皇)し、役行者を伊豆に配流してからは吉野行幸をしていません。

 
(4)古事記は「推古」で終わります。しかも最後の3人、用明、崇峻、推古天皇の記述は極めて僅かです。「推古」のあと、舒明、皇極、孝徳、斉明、天智、天武、持統、文武、元明天皇と続くのです。中山[1]はこの問題に資料不足のためかとして深入りを避けています。編纂当時は真実を知る人が残っていたため虚偽は書けず、さりとて真実は書けず、書かないという選択をしたとも考えられます。小石[5]は自著の中で「推古」まででよいと「天武」に言わせています。また安麻侶は、「推古」までの記述で編纂の目的を達したと考えたかもしれません。すなわち、古事は「推古」までで、以後の天皇の御世は古事ではないという判断です。

 
(5)「記紀」の成立過程や記述内容は、白村江の敗戦後の唐の露骨な介入、百済の王族・官人の自国復興活動、新羅の韓半島からの唐勢力駆逐の工作活動などを考慮した見直しが必要です。

 
(6) 持統称制元年の書紀の記述に大津皇子の謀反の罪での刑死があります。その数行あとに次の意味不明の記述があります。「この年、蛇と犬と相交(つる)めり。しばらくありて倶(とも)に死ぬ」と。持統は戌年ですが孫の即位後702年まで存命します。持統を指してはいないようです。

 
(7) 持統5年の段に川嶋皇子の死の記載があります。古事記編纂に関与した皇子です。死因の記載はなく不自然な死に方かもしれません。

 
(8) 現在伝わっている書紀は初版から多くの改定がなされているようです。

 

 

5.まとめ

本稿では記紀の外観と謎の幾つかを紹介しました。記紀が史実と違うから信用できないというような弁は、歴史家らしからぬ発言です。8世紀の国際環境と国内事情からそう書かざるを得なかったと思うからです。専門家なら、作為的な改変がなされた個所を指摘し、裏に隠された事実と、変えざるを得なかった理由とを明らかにすべきです。記紀の文書データに、ある変換を施すと隠された史実が得られるような史実補正ソフトを開発したらいかがでしょう。

 
参考文献
1) 中山千夏:  新・古事記伝 築地書館(1990年)。
2) 武田祐吉訳注:新訂古記 角川文庫(昭和62年)。
3) 林 青梧:  「日本書紀」の暗号 講談社(1990年)。
4) 井沢元彦著: 逆説の日本史(2) 古代怨霊編 小学館(1998)。
5) 小石房子著: 鉄の女帝持統、作品社(2002年)。
6) 李寧日著:  天武と持統、文芸春秋(1990)。

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カテゴリ: その他

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