アメリカ、フランス……ホープダイヤモンドの流浪の旅
19世紀初頭にヘンリー・フィリップ・ホープ氏が入手したことを皮切りに、およそ65年もの長きに渡って「呪いのダイヤモンド」を所有し続けたホープ一族は、1896年頃には破産を迎えています。
その後も「ホープダイヤモンドの呪い」は猛威を振るい続けることになるのですが、ホープ一族最後のホープダイヤモンドの所有者となったフランシス・ホープ氏の破産時期(1896年頃)と、ホープダイヤモンドの売却時期(1906年頃)に微妙なずれがあるところが注目に値します。
またも破産する持ち主
フランシス・ホープ氏が、破産時点でホープダイヤモンドを手放さず、およそ数年後に売却しているという記録については、裁判所主導での遺産相続に関する何らかの制約事項があったからではないか、と伝えられています。
ホープ氏の手を離れた後は、一旦ロンドンの宝石商(もしくはニューカッスル公爵夫人)を経て、1906年頃(1902年という説もあります)にアメリカの宝石商に売却されています。ホープダイヤモンドを手にしたという宝石商ジョセフ・フランケル(またはサイモン・フランケル)氏もまた破産し、1908年頃にホープダイヤモンドは、今度はフランスはパリの宝石商であるソロモン・ハビブという人物に渡っています。
宝石商ローズナウからカルティエへ
しかしその後、ソロモン・ハビブ氏も経営が悪化したようで、ホープダイヤモンドは債務弁済のために競売にかけられ、同じくフランスはパリの宝石商、ローズナウが購入します。これには異説があり、「フランケル氏の次の所有者は、当時のロシア貴族であるカニトウスキー公爵である」とする説も存在しています。この説では、公爵とその周辺の人物の不審死というエピソードが盛り込まれていて、「ホープダイヤモンドの呪い」という側面のひとつとして伝わっているようです。
いずれにせよ、1909年にローズナウが一旦所有した後、1910年頃(一説によると1908年)には、ピエール・カルティエが入手し、カルティエブランドで販売していた、とされています。
フランスはカルティエから再びアメリカへ
カルティエは、現在も高級ジュエリーブランドとして人気を保っているのですが、その所有年月がわずか1年程度だったことが奏功したのでしょうか。カルティエは破産することなく、1911年にはアメリカ社交界の名士であるエヴェリン・ウォルシュ・マクリーンに売却した、としています。その後も「ホープダイヤモンドの呪い」は、続いていくのです。