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メガラニカ大陸とオーストラリアの関連性(前編)

メガラニカ大陸

古代ギリシャの知識人によって提唱された、「南半球の未知の大陸」である「テラ・アウストラリス・インコグニタ」は、16世紀のポルトガルの探検家、フェルディナンド・マゼランの登場以降には、彼の名にちなんで「メガラニカ大陸」と呼ばれるようになり、その後、イギリスの海軍士官であるジェームス・クック(通称キャプテン・クック)による大規模な航海によって判明した、ニュージーランドや南ジョージア島、当時ニューオランダと呼ばれていた現在のオーストラリアなどの発見によって、その存在が否定されるようになりましたが、もとの名称である「テラ・アウストラリス・インコグニタ」は、現在も地名とし受け継がれています。
南半球のオーストラリアは、メガラニカ大陸存在の仮説と、結びついているのです。

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キャプテン・クック以降も残ったメガラニカ大陸の存在

キャプテン・クックによる数々の島の発見以降、メガラニカ大陸の存在を信じる人は激減し、大陸の存在説自体は消滅しつつありました。
当時の世界地図は、「大多数を占める仮説によって未知の部分を埋める」といった手法で製作されていて、メガラニカ大陸が表現されていたのですが、キャプテン・クック登場以降では、メガラニカ大陸は世界地図から姿を消していきました。
しかし呼称としての「テラ・アウストラリス・インコグニタ」や「メガラニカ大陸」は残り続けていたようです。
この呼称は、当時のニューオランダのことを指していました。

 

 

ニューオランダは1644年に命名

ニューオランダ(現在のオーストラリア)は、1606年にウィレム・ジャンツというオランダ人によって発見され、その後1644年に、オランダの航海家であるアベル・タスマンによって「ニューオランダ(オランダ人である彼の母国にちなんだと思われます)」と命名され、その後およそ180年に渡って、この名称が使い続けられたようです。
発見者であるウィレム・ジャンツは、赤道付近に位置する北部地域に上陸し、入植を検討したようなのですが、上陸した地域が熱帯地方で「居住に向かない」と判断したこともあり、オランダ人による入植は、なされませんでした。

 
このため、ニューオランダという名称は、18世紀末期の、イギリスによるヨーロッパ人としての最初の入植まで続くことになります。
イギリスの入植後、しばらくの期間を経過して、当地はオーストラリアという名称に変わっていきます。
この呼称変更には、さまざまな思惑があったように推測されます。

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カテゴリ: その他

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