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古代ギリシャの仮説メガラニカ大陸の概要(後編)

メガラニカ大陸

 

1522年、ポルトガルのマゼランによって世界一周が達成され、古代ギリシャの人々が「テラ・アウストラリス・インコグニタ」と命名した「南半球の未知の大陸」は、マゼランの名にちなんで「メガラニカ大陸」と呼ばれるようになりました。
しかしこの時期には、まだ南半球に存在する陸地の全貌は判明しておらず、その後もさまざまな人物によって、航海や冒険は継続しておこなわれました。
メガラニカ大陸と呼ばれる大陸の定義は、人類の探究心に基づく「航海や探検による、地球規模の地理の検証」により、その後も変貌を続けていきます。

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マゼランが発見した陸地は島であったことが判明

1520年にマゼランが発見した陸地は、当時は南半球の大きな陸地の一部、つまりはメガラニカ大陸である、と思われていました。
マゼランが発見した、大陸の最北端に位置するフエゴ島と、南アメリカ大陸の間にある海域は、マゼラン海峡と命名され、調査中の南方大陸は、メガラニカ大陸と呼ばれるようになったのです。

 
しかしその後、1578年になって、イギリスの航海者であるフランシス・ドレークが、フエゴ島のホーン岬、ドレーク海峡を発見したことで、マゼランの発見した陸地が、大陸の最北端ではなく、島であることが判明しました。

 

 

ジェームス・クックの功績

マゼランの活躍から100年ほど後には、現在では「キャプテン・クック」の愛称で知られている、イギリスの海軍士官ジェームズ・クックが登場し、太平洋にて3回に渡る大規模な航海を敢行します。
クック氏は、1回目の航海中である1769年に、ニュージーランドを一周し、島であることを証明してみせました(ニュージーランドは、1646年にオランダの探検家であるアベル・ヤンスゾーン・タスマンが既に発見されています)。
続いて1770年にはニューオランダ(現在のオーストラリア)の東海岸を発見し、従来信じられていた「南半球の巨大大陸」という位置付けだったメガラニカ大陸が、実はいくつかの島々によって構成されていることが判明していきました。

 

 

更なる探求がおこなわれる

しかしこの時点では、まだ「未知の大陸=メガラニカ大陸が存在しているのではないか」と考える人は多数存在していて、クック氏は更に航海を続けます。
第2次航海に当たる1773年、ついに南極圏にまで到達し、その道中において、南サンドウィッチ諸島、クック諸島、南ジョージア島、、ニウエ島、ニューカレドニア島など、地理学的にも歴史的にも貴重な発見を重ねますが、想定していた大陸を発見することはできませんでした。
この時期以降、古代ギリシャから伝えられていた「南半球の未知の大陸」について、否定的な見解が多数派を占めることになります。

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カテゴリ: その他

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