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古代ギリシャの仮説メガラニカ大陸の概要(前編)

メガラニカ大陸

 

かつて「人間は考える葦である」という言葉を残したのは、17世紀頃のフランスの思想家にして数学者でもあった、ブレーズ・パスカルという人物ですが、彼の出現よりもずっと以前から、人類は「未知の事象や、コントロールできない外的な要因」に対して、さまざまな仮説を持って真実の追究をおこなってきました。
古代ギリシャの時代、まだ地球全体の大陸や人種が浸透していない頃、世界の地理に関する仮説がいくつか唱えられていました。
そのうちのひとつに、メガラニカ大陸があります。

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もとは「テラ・アウストラリス」と呼ばれていた

紀元前800年頃に、ポリスと呼ばれる都市国家群の成立とともに、古代ギリシャ文明が開化しました。
この頃から、ソクラテスやプラトンに代表される、現在においても名を残すような哲学者、賢者がたくさん登場しています。
この頃は地球に存在する大陸の全貌は、まだ知られていなかったものの、既に「地球球体説」が存在していて、ギリシャを含むユーラシア大陸以外にも、大きな陸地が存在するのではないか、という仮説が唱えられていました。

 
当時知られていた地球の大陸は、ほぼ北半球に集中しており、南半球に陸地が存在しないとは考えにくい(地球規模のバランス、安定性が悪い、と考えたようです)ため、北半球で知られる大陸に匹敵するような大陸が、南半球にも存在するはず、と考えられたのです。
これを、テラ・アウストラリスと呼びました。
テラ・アウストラリスという呼称は、後にメガラニカ大陸という呼称に変化していくことになりますが、呼称の変化には実に千年以上の歳月を費やすことになります。

 

 

「知られていない南の土地」という意味

テラ・アウストラリスという呼称は、当時ヨーロッパの人々が、「未だ把握していない南半球の陸地である」という仮説をもとに、ラテン語の「テラ=土地」と、「アウストラリス=南にある」を組み合わせて作った言葉であったそうです。
これに「知られていない、認知されていない」という意味の「インコグニタ」をつけて、「テラ・アウストラリス・インコグニタ」とも呼ばれていた、とのことです。
テラ・アウストラリス・インコグニタは、当時の人々の想像上のイメージでしかなかったのですが、後年になって(15世紀から17世紀頃のいわゆる「大航海時代」が該当します)、実在する大陸と結び付けられ、現在認知されているオーストラリアの国名の由来としても知られるようになりました。

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カテゴリ: その他

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