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八百比丘尼は全国各地に何人もいた!?(4)秦一族と八百比丘尼

八百比丘尼

福島県の喜多方市の「金川寺」に伝えられる「八百比丘尼(やおびくに)」伝説は、一般に良く知られるものとは違いました。漁師か漁師の長者の娘ではなく、渡来氏族で聖徳太子の側近として活躍した秦河勝の孫の秦勝道の娘の「千代姫」。食べたのは人魚の肉ではなく、長寿を得るといわれる「九穴の貝(くけつのかい)」(貝殻9つの穴があるアワビ)でした。

 
会津の更級の庄に流罪となった秦勝道やその娘の千代姫が、実在の人物であったのかどうかはともかく、他の地域に伝わる八百比丘尼伝説と違って登場人物がはっきりとしているのがこの伝承の特徴です。
どうもこの千代姫=八百比丘尼伝説の謎は、秦氏一族の娘というところにそのヒントが隠されているのかも知れません。

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謎の多い秦一族

そもそも秦氏というのは、古代氏族のなかでも謎の多い一族です。もとは秦の始皇帝の末裔で、百済から日本に帰化した弓月王の子孫であるとされていますが、その真偽は確かではなく、中国の五胡十六国時代に羌族(きょうぞく)が起こした「後秦」に由来するとか、景教(ネストリウス派キリスト教)を信仰していたユダヤ人であるという説まであります。
少なくとも、大陸から渡って来た一族であったことは間違いないようです。

 
先進的な知識や技術を持って日本に渡って来たとされ、古代に土木や機織り、養蚕などで栄えて秦部(はたべ)という一族・部民を率いていました。また聖徳太子を支えた秦河勝は様々な技芸の祖、香具師・神農行商(もとは漢方薬の神である神農の神を信仰するテキ屋のこと)の祖とされ、手品や軽業・曲芸の祖とも言われています。例えば、現代まで続く古典芸能である能や狂言のもとの猿楽もその源流は秦一族であり、忍者や忍術の源流も秦一族に求められるという説もあるのです。朝廷の雅楽を代々継承してきた東儀家も秦氏であり、遠祖は秦河勝であるとしています。

 
また、平安時代に安倍晴明の登場で知られる陰陽師にも秦氏は多く名を連ねていて、特に秦道満という陰陽師は実は、安倍晴明のライバルとされる芦屋道満のことであるという説もあります。この秦道満が千代姫=八百比丘尼の父親であったという伝承もあって、時代はかなり混乱するのですが、陰陽師と八百比丘尼のつながりというのもなかなか面白い説になっています。

 

 

古代社会の裏で繋がる秦一族と八百比丘尼

このように秦氏は、日本で様々な技芸、学芸、職業の祖となったと言われています。飛鳥時代には聖徳太子を陰で支え、また平安京遷都では秦氏の技術や財力がチカラを発揮したとされるなど、古代には日本の政治の中心で重要な役割を担っていた秦氏ですが、やがて徐々に表舞台からが見えなくなって行きます。
それは手品や軽業、猿楽などの技芸や芸能、香具師・神農行商、陰陽師といった天文や祈祷・呪術、更には忍者に至るまで、言ってみれば表世界の一般人とは異なる裏の世界に大きく関わる一族であったということに関係があるのかも知れません。

 
そのようななかで、不老不死で諸国を遍歴するやはり裏の世界の者である比丘尼となった八百比丘尼が、秦一族を父親として生まれたという伝承はとても興味深いものに思われるのです。

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