鹿児島県にあったムー大陸博物館で発信されたムー伝説とは
1800年代に西欧で発表され、1930年代には日本でも浸透し、今もその謎の調査がおこなわれているというムー大陸伝説なのですが、日本においては雑誌の名称になったり、近年発見された海底遺跡をムー大陸伝説と結びつけて検証をおこなったりと、世界的にも造詣が深い国のひとつなのではないか、と考えられます。日本において、かつてムー大陸博物館という建物が存在していたことがあったそうです。
鹿児島県に実在したムー大陸博物館
ムー大陸博物館は、鹿児島県は肝属郡南大隅町というところに、かなり古くから存在していたようです。創立が昭和20年代の、平等大慧会という名称の日本の仏教系宗教団体が創建したようで、記録によると、昭和49年に博物館が作られています。現在は建物の老朽化により閉館され、取り壊されているようですが(一部、多宝仏塔という建物は残っている、とのことです)、存続していたときには、1930年代に発表された、ジェームス・チャーチワード氏の著書、『失われたムー大陸』の記載内容をベースに、さまざまな情報を展示形式で発信していたようです。
ムー大陸が人類のルーツであるという位置付け
この博物館では、ムー大陸や文明に対するさまざまな解釈のうちのひとつを、垣間見ることができたようです。たとえばムー大陸の発祥は、3,000万年以上前である、としていたり、仏教と神道とキリスト教の根本となっている、との考えを示したり、独自の名称を付与して、ムーの年代や王家に関する推論を展開していたり、といったところです。なかでもムー大陸の陸地が、3つの島で構成されていたとする点や、仏教におけるお経に、ムー文明に関するエピソードを取り入れていると思われるところなど、かなりユニークな解釈を見ることができたようです。
近隣にはイッシーで有名な池田湖も
博物館があった場所は、超常現象やオカルトカルチャーには寛大な土地柄なのか、近隣にある池田湖には、イギリス、スコットランドのネス湖の恐竜(ネッシー)のような首長竜が住み着いている、という伝説があり、イッシーと名付けられているそうです(首長竜ではなく、大ウナギである、という説も存在しています)。鹿児島の旧ムー大陸博物館は、ムー大陸伝説自体の評価が定まっていないこともあり、「オカルト関連のB級スポット」との評価もあったようですが、ムー大陸伝説に関する情報が、横断的、網羅的に得られるような施設がない中、貴重な存在であった、とも考えられます。なくなってしまったことは残念ですが、沖縄の与那国島海底遺跡など、関連スポットの調査が進み、新たな情報発信施設ができることに、期待したいところです。