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ムー大陸はやはり存在していた?失われた大陸を巡る不思議な符合


 
多くの仮説を持って、今もその解明がおこなわれ続けているムー大陸伝説の中には、「実は日本のルーツに、ムー大陸が関係している」、という見方も存在しています。この説は、近代日本において、比較的古くからいわれている説であり、必ずしも「まったく荒唐無稽である」とも言い切れない部分を、多分に含んでいます。

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1932年の雑誌記事に遡る

ムー大陸存在の可能性については、1800年代からフランスやアメリカで言及されていたのですが、日本において広まるきっかけとなったのは、1932年に発行された、サンデー毎日の記事と、大阪毎日新聞の記事であった、といわれています。この記事では、「失はれたミュウ(=ムー)、太平洋上秘密の扉を開く」というタイトルで、前年である1931年頃にアメリカで発刊されていた『失われたムー大陸(著者は、ジェームズ・チャーチワード)』で展開されていた説が紹介されたと見られ、当時かなりの反響があったことが予想されます。このことは、1938年に別の著書(神日本)で『陥没大陸ムー国』として取り上げられたり、今も続く雑誌「ムー」の存在からもうかがえます。

 

出口王仁三郎が唱えたムー大陸

しかし記録によると、先の述べたサンデー毎日による紹介を遡ること10年近く前に、出口王仁三郎という人物が、『霊界物語』という著書の中で、「かつて太平洋に、巨大な大陸が存在した」という説を展開しており、そこで紹介した「黄泉(よもつ)の島」こそ、ムー大陸である、との主張を展開しています。霊界物語では、「黄泉の島」がその後沈没して消滅したことも述べており、奇しくもジェームズ・チャーチワードの主張と一致していたのです。

この人物は、当時の新宗教「大本」の創始者のひとりとされ、明治時代から大正時代にかけて、終末論を唱えて、カリスマ的な求心力を持って新宗教を浸透させていた人物である、とされていますが、その評価は現在も定まっていない、といわれています。出口王仁三郎によると、「黄泉の島」、つまりムー大陸は、およそ5,000キロメートル×5,700キロメートルの巨大な大陸であった、としています。

 

複数の人物が示す内容の奇妙な符合

面積に関する記載は、先に紹介したジェームズ・チャーチワード氏の説とは若干異なるものの、太平洋上にすっぽりおさまる規模の、大きな陸地であるという見方は、一致しています。およそ10年ほどのずれをももって、複数の人物が類似する主張をおこなっていることは、ムー大陸実在の可能性を示すひとつの例である、といえそうです。

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カテゴリ: その他

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