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アトランティス大陸にまつわるプラトンの著書を考察する!

引き寄せの法則
 
アトランティス大陸に関する伝説は、紀元前340年前後、プラトンが最晩年に著したとされる『ティマイオス』と『クリティアス』という2つの対談形式の著書によるところが大きいと言われています。しかしその対談の中で、「アトランティスの伝説にまつわるエピソードは、エジプトの司祭の話に端を発した、紀元前6世紀頃からの伝承であり、対談の参加者が実際に見たわけでも、文書によって検証したものでもない」ということが記されており、このことが、さまざまな解釈を生んでいる原因にもなっています。このような前提のもと、いくつかの仮説では、部分的には確証を持って語ることが可能な部分もある、とのことです。

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地中海説

地中海はエーゲ海の真ん中にあるサントリーニ島(ティーラ島とも呼ばれています)は、現ギリシャ領のキクラデス諸島にある、面積73キロ平方メートルほどの島なのですが、この島(またはこの島の周辺にかつて存在した陸地)こそがアトランティスであった、という説が存在しています。この島には、月のクレーターのような巨大なくぼみがあり、島の西半分がまるでばっさり切り取られたような、不思議な形状の島として知られています。この巨大クレーターができた時期は、地層などの調査から、紀元前1,600年頃である、といわれていますが、この時期に大規模な火山の噴火が起こり、島の一部が吹き飛ばされてしまった、といわれています。この大きな天変地異を伝え聞いた、周囲の国々の人々は、恐れを持ってこの出来事を伝えたことでしょう。

 

神の怒りが伝えられた可能性

紀元前という時代背景から、自然を神と崇め、「天変地異は神々の怒り」ととらえたであろうことは、想像に難くありません。何千年も前の人類の科学技術水準を考慮すると、事実関係はともかく、この出来事に対して、長い年月をかけてさまざまな思いや仮説、宗教的な推論などが付加され、アトランティス伝説として形作られていったのではないか、と推測することができます。

 

クレタ島のミノア文明が該当?

しかし一方で、現在の技術を持って調査した結果としては、サントリーニ島の火山噴火によって海底に沈んでしまった大陸、といった事例は確認されておらず、サントリーニ島またはその近隣の陸地がアトランティスであった、との説には異論も多数あります。この説に関連して、同時期に近隣のクレタ島で栄えていたというミノア文明が、サントリーニ島の火山噴火による津波を影響を受けて、短期間のうちに滅んでしまった、との説があり、ミノア文明がアトランティスだった、という見解も、存在しています。

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カテゴリ: その他

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