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ロドスの巨像が作られた島、ギリシャ・ロードス島の歴史

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世界の七不思議のひとつ、ロドス島の巨像は、現在のギリシャ領に存在している、エーゲ海南部のアナトリア半島の近くにある、ロドス島に存在した、とされています。ドデカネス諸島に属しているロドス島は、どのような歴史を歩んできたのでしょうか。

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紀元前16世紀頃のミノア文明が始まり

ロドス島は、紀元前8500年頃に発祥したといわれている新石器時代から人が住んでいた、と伝えられていますが、歴史的な確証は少なく、詳しいことはわかっていません。紀元前16世紀頃になって、エーゲ海地域に栄えたエーゲ文明のうち、特にクレタ島で栄えたという青銅器文明であるミノア文明の人々が移り住んだことから、実質的な歴史が始まった、とされています。その後、紀元前15世紀には、そのルーツを紀元前2000年のテッサリア地域に持つ、古代ギリシャのアカイア人が移住してきました。そして、紀元前11世紀頃には、後に古代ギリシャのポリス(=都市)を建設することとなる、ドーリア人が移住してきました。

 

ポリスを中心とした古代民主制の時代

古代ギリシャの歴史の中の、暗黒時代(文字としての歴史資料がなく、どのようなことが起こっていたかが史料から推測できない時代。紀元前1200年頃から紀元前800年頃を指します)を経て、ドーリア人によるポリスを中心とした古代民主制の時代が訪れます。その後、周辺地域が、紀元前550年頃に成立した古代イランの王朝である、アケネメス朝の影響を受けるようになると、ロドス島もその影響を受け、紀元前499年頃~紀元前449年頃まで続いたペルシャ戦争の後、デロス同盟という近隣の同盟組織に加わりました。紀元前431年頃には、ペロポネソス戦争という大規模な戦争も起こっています。しかし、ロドス島は、あくまでも中立の立場をとっていた、とのことです。

 

戦争に翻弄される中、ロドス島の巨像を製作する

紀元前404年にはペロポネソス戦争が終結しますが、戦争の影響でギリシアは疲弊し、その一員であるロドス島もまた、外部の侵入者を許すことになります。紀元前357年には、ハリカルナッソスのマウスロス王に征服されてしまい、紀元前340年に、アケネメス朝の支配下となります。しかしその後も情勢は安定せず、紀元前332年には、今度はアレクサンドロス3世率いるアルゲアス朝マケドニア王国の軍門に下ります。アレクサンドロス3世の死後、後継者争いに端を発するディアドコイ戦争が起こりますが、からくもロドス島は勝利し、戦勝記念として、かの有名なロドス島の巨像を製作することとなったのです。

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カテゴリ: その他

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