> >

エフェソスのアルテミス神殿が七不思議の提唱者にも別格視された理由

1e81ce33f6ae02d421f031deb7b04e5e_s
 
世界の七不思議という概念は、紀元前2世紀頃の数学者兼旅行家であった、ビザンチウムのフィロンによって提唱されたものである、とされていますが、七不思議のひとつであるエフェソスのアルテミス神殿について残っている記録から、世界の七不思議の編纂者(へんさんしゃ=さまざまな人物の著作を集めて編集するもの、の意味)として、フィロン以外にも「シドンのアンティパトレス」という人物が存在したことがわかっています。彼らは、七不思議の中でも、特にエフェソスのアルテミス神殿を別格視していたのではないか、と思われる記述が残されています。

スポンサードリンク


 

世界の七不思議が持つ政治的な意味合い

フィロンが『世界の七つの景観』という著作の中で、世界の七不思議を提唱するに至った背景として、純粋に当時としては規模が大きく、なおかつ芸術的な意味合いとしてもすばらしい建造物であっただけではなく、著書を目にする他国に人たちに向けて、ギリシャ人に対する畏怖の念を与え、ひいては当時のアレキサンダー大王が率いていた大帝国の巨大さのアピール、といった政治的な目的も持っていたのではないか、と考えられています。そんな中でも、エフェソスのアルテミス神殿についてのアピールの記載は目立っていて、フィロンは「(他の世界の七不思議の要素である)バビロンの城壁と空中庭園、オリンピアのゼウス像、ロードス島の巨像、大ピラミッド、マウソロスの霊廟などを見た後に、エフェソスのアルテミス神殿を見ると、他の七不思議の建造物がかすんでしまう」、とまで記載しています。

 

編纂者二人が揃って賞賛

もうひとりの編纂者であるアンティパトレスも、その著書『パラティン詩選集、9巻58』で、フィロンと同様の意味合いの記載をわざわざ寄稿しています。これらの状況から、当時エフェソスのアルテミス神殿は、帝国の威光を外部に示すために、相当な財力や労働力を使って作られた、文字通りかなり荘厳で重厚な建造物であった、と考えられます。

 

地理的な狙いもあった

さらに、エフェソスのアルテミス神殿の建てられている位置は、当時のギリシャ世界と、それ以外の外界との境界線に位置する場所でもあったようです。おそらく戦略的な意味合いもあって、意図的にこの場所に作ったのではないか、と推測されますが、このことも、世界の七不思議の中でも、エフェソスのアルテミス神殿を、特に強調すべき建造物とする理由となっていたのではないか、と思われます。皮肉なことに、まさにギリシャ世界の象徴であった建造物であったが故に、放火や破壊、再建が繰り返され、結果的には現代にまで建造物が残らなかったのではないか、といえそうです。

このエントリーをはてなブックマークに追加


スポンサードリンク
スポンサードリンク

カテゴリ: その他

Comments are closed.