バビロンの空中庭園に花を咲かせたメソポタミア文明とは
古代ギリシャの時代、紀元前2世紀頃に提唱された「世界の七不思議」のひとつに数えられている「バビロンの空中庭園」は、現在のイラクのバグダッドにあったとも、モースル地域にあったともいわれていますが、証拠となる遺跡が発見されておらず、真相は解明されていません。当時この地域一帯はメソポタミアと呼ばれ、この地に生まれた複数の文明の総称として、古代メソポタミア文明という呼称が広く知られています。
世界最古の文明、メソポタミア文明
メソポタミア文明は、チグリス・ユーフラテスという二つの大河によってもたらされたといわれる、紀元前3500年頃に作られた文明で、世界最古の文明といわれています。関連地域としては、北部のアッシリアから、南部のバビロニアまでが該当し、さらに文明の誕生や広がりにあわせて、バビロニアの中でもアッカドとシュメールに分類して考えられています。文明初期には、分類のもとになっているシュメール地域が中心であった、といわれています。ただし、シュメール人がこの地域に住みだしたのは、メソポタミア文明が栄えだした時代よりも、さらに古い時代である、とされています。
民族存亡の歴史
メソポタミア文明の歴史は、民族存亡の歴史でもあります。紀元前9000年頃とされるシュメール人の移住を皮切りに、紀元前3500~3100年頃に、シュメール人による都市国家建設=初期メソポタミア文明誕生を経て、バビロニア時代(紀元前2004年~紀元前1750年頃)やヒッタイト時代(紀元前1595年~紀元前1200年頃)、アッシリア時代(紀元前13世紀以降)などの時代の移り変わりを経験しつつ、文明が栄えていきます。バビロニア時代に広まっていた「ハムラビ法典」にある「目には目を、歯には歯を」という復讐に関する法は、今でも慣用句として使われているほど、現代の日本を含む世界中で浸透しています。
バビロンの空中庭園はメソポタミア文明の成果のひとつ
この地に栄えたメソポタミア文明は、後にさまざまな伝承を生むことになるのですが、今はなきバビロンの空中庭園も、メソポタミア文明が生み出した成果のひとつに数えられています。紀元前538年、ペルシアの侵攻で破壊されてしまったといわれているバビロンの空中庭園ですが、メソポタミア文明が栄えた地域のうち、いずれかの場所で作られ、著書に記録され、そして民族闘争に巻き込まれて消滅した、と考えられます。世界の七不思議として今も残る謎を解決できるような、当時の痕跡を明確に示す証拠の発掘が待たれるところです。