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「バビロンの空中庭園」が作られたのはニネベだった?!

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古代ギリシャ時代に提唱された「世界の七不思議」のひとつ、バビロンの空中庭園については、本当に実在したのか、または伝説であって実在はしなかったのか、はたまた古代の歴史書が唱えている場所=バビロン以外の場所に存在したのか、諸説入り乱れていて、結論が出ていないのが現状です。とはいえある程度支持を集めている学説もあり、そのひとつがイングランドはオックスフォード大学のステファニー・ダリー氏の「ニネベ説(現イラク、モースル)」です。

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水に関する高い技術を持っていたニネベの王

「空中庭園はバビロンではなく、ニネベにあった」とする根拠としては、大きくふたつあげられています。ひとつは、「歴史書の翻訳が不正確だった=そもそもバビロンの空中庭園がバビロンに存在した、ということ自体、翻訳上の信ぴょう性が薄いこと」、もうひとつは「ニネべの王である、アッシリア王セナケリブ(在位期間は紀元前704~681年頃とされています)が、大規模な水道のしくみを考案し、実際に工事して水道を整備した王として知られていること(灌漑対応や造園の才能を称えるような碑文が、複数残っています)」をあげています。

 

アメリカでも注目されるニネベ説の信ぴょう性

特に後者に関しては、ニネベ説の根拠として評判も高く、アメリカのハーバード大学の研究家ジェイソン・ウール氏も、アッシリア王セナケリブの水の功績に関する碑文の存在に、着目しています。逆に、従来「バビロンの空中庭園を作った」とされる、バビロニア王ネブカドネザル2世のほうは、バビロンでおこなった偉業を称える碑文が多数残っている中で、水や空中庭園に関するものがひとつも残っていません。当時近隣にはそれほど高度な技術力を持つ国は多くなかったことも、ニネベ説の信ぴょう性を高めている、といえそうです。

 

ニネベは新バビロンとも呼ばれていた?

また、アッシリア王セナケリブは、バビロンを占領した後、ニネベを「新バビロン」と呼んでいたことも判明しています。前述のステファニー・ダリー氏はこの点にも着目し、「ニネべを訪れた古代ギリシャの旅行者(=歴史書を著すことになる人物を含む)が、この地にあった空中庭園を見て、「(新)バビロンの空中庭園」と考えたとしても不思議ではない、これがアテネにそのまま伝わったのではないか」、と考えました。確かにつじつまが合う説ではあるのですが、残念ながらそれを事実として裏付けるような、痕跡の発掘が未だされていません。この説を裏付けるための、根拠の発見が待たれるところです。

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カテゴリ: その他

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