> >

王家の谷がテーべのエルクルン山に作られた3つの理由

王家の谷
 
エジプトのルクソールにある、古代エジプトの王達の岩窟墓が密集している場所は、王家の谷、もしくは死の谷、死の都と呼ばれていて、古代から続く貴重な学術資料を世界に提示しています(王家の谷は1979年に世界遺産にも登録されています)。王家の谷があるルクソールは、古代エジプトではテーベ(「テーバイ」と表記することもあります)、またはワセト(古代エジプトの言葉で「都市」の意味)と呼ばれていました。

スポンサードリンク


 
ナイル川の西岸であるこの土地には、他にも多くの谷がありますが、王家の谷が作られているのは、そのうちのひとつの谷だけです。なぜこの谷が、王家の谷として大規模な墓地が作られるに至ったのでしょうか。

 

理由1:地質

たくさんある谷の中で、テーベにある王家の谷の設置場所が、現在王家の谷がある場所に決められた理由はいくつかあります。まず第一に、この地の地質が、良質な石灰岩で作られていることがあげられます。王達の墓が作られてから何千年も経た現在でも、建造当時の形がそのまま残されていることの理由として、地質が長期保管に向く良質な石灰岩質であったことが大きい、とされています。

 

理由2:立地

それから第二の理由として、この谷が、当時の王達の葬送儀式に使用されていた葬祭神殿から程近かったことがあげられます。王家の谷から距離にしておよそ1キロメートルのところに神殿が建てられており、宗教的な儀式をおこなったり、葬送の行進などをおこなうにあたっても都合が良かったもの、と思われます。また、当時信じられていた神々のひとりである、ハトホル女神ゆかりの谷であったことも見逃せません。ハトホル女神は、若返りの神としてあがめられていたことも、理由としてあげられます。

 

理由3:自然環境

第三の理由としては、王家の谷の近隣にあるエル・クルン山が、切り立った崖や、起伏に満ちた丘に囲まれていたこと。外部からの侵入者や盗掘者を防ぎやすいと判断されたことが、この地を王家の谷として選択した大きな理由です。そのほか、エル・クルン山の形状が、ピラミッドのような形であり、当時神聖なものとしてとらえられていた建造物が、自然環境とし形作られていたことも、王家の谷が設置される理由となったのではないか、と考えられます。

このように、信心深い古代エジプト人は、王を警護するための現実的な方法をも視野に入れて、埋葬地を選んでいたことがうかがえます。

このエントリーをはてなブックマークに追加


スポンサードリンク
スポンサードリンク

カテゴリ: その他

Comments are closed.