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最古の発見記録は1550年?ナスカの地上絵、学会発表以前の取り扱い

砂漠
 
ナスカの地上絵は、1930年代にアメリカ人考古学者のポール・コソック氏の発表によって、世界的にも「謎の事象」として知られるようになりましたが、それ以前にも、数々の有識者によって、何らかのアプローチや記録がなされていたのです。もっとも古い記録は、1500年代までさかのぼることができる、といわれています。

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ペドロ・シエサ・デ・レオン氏の『ペルー誌』

ナスカの地上絵に関する最も古い記録は、スペイン人コンキスタドール(スペイン語で「征服者」の意味。16世紀にアメリカ大陸を征服したスペイン人兵士を指している、とされています)のペドロ・シエサ・デ・レオン氏が、1550年代に公刊した『ペルー誌』の記録である、といわれています。もっとも、当時はまだ飛行機が発明されておらず、地上絵の全容は明らかにはされていなかった(ナスカの地上絵は、大きいものでは130~180メートル以上あるため、上空からでないと、何の図柄かが判別できません)、と思われます。また、同氏が著した「ペルー誌」は、その正確さから、「記録として非常に信ぴょう性が高いもの」、とされています。

 

ドイツの考古学者マックス・ウーレ氏の功績

ペドロ・シエサ・デ・レオン氏の記録から約450年後の1901年、ペルー考古学の父といわれているドイツ人考古学者のマックス・ウーレ氏(1920年に、現地のパチャカマ遺跡を最初に発掘した人物、とされています)も、遺跡発掘のプロセスの中で、ナスカの地上絵に注目したひとりである、といわれています。その著書の中でもナスカの地上絵に触れたとのことですが、当時はそれほど世間の注目を集めることはなかったようです。

 

飛行機の発明と学会発表により、認知度が飛躍的にアップ

その後1903年になって、アメリカのライト兄弟によって、有人動力飛行が世界で初めて成功したのを皮切りに、飛行機が発明され、上空から地上を俯瞰的に見ることができるようになると、少しずつナスカの地上絵が目視されるようになっていきます。1938年に、現地を飛んでいたペルー人パイロットのアレッサンドロ・ロメロ氏が有名な「コンドルの絵」を認識したことをきっかけとして、1939年には、前述のアメリカ人考古学者ポール・コソック氏がナスカの地上絵の存在を学会に発表したことで、一気に認知度が高まりました。それまでは「点」でしかなかった情報、具体的には「地上にある溝」でしかなかった事象が、飛行機を使って上空から見ることと、学術的な記録にまとめて発表することで、こんにちのナスカの地上絵研究の礎となった、といえそうです。

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カテゴリ: その他

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