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ひいきの成り立ち?意外なことわざの語源となった龍の子

龍伝説

 

日本には龍と人間との間の子の伝説が伝わっていますが、龍の本場である中国では、龍には9匹の子供がいるとされています。
この龍の子供たちのことは「龍生九子(りゅうせいきゅうし)」と呼ばれています。

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龍になれなかった龍の子供

この9匹の子供たちは、龍の子供でありながらその姿は龍とは異なっていて、またそれぞれも姿も性質も違います。中国の伝承では、9匹の龍の子は結局、親と同じ龍になることはできませんでした。これを「龍生九子不成龍」と言います。
中国で龍の姿や性質が固まっていったのは「漢王朝」の時代(紀元前206年から紀元220年)で、龍は皇帝のシンボルとなりました。龍の姿の各部分が9種類の動物に似ているという「九似」を唱えたのは後漢末期の「王符」という学者です。
龍生九子の考え方も古くからあったようですが、はっきりとはわかっていません。時代は下って「明」の時代(1368年から1644年)になると、この9匹の龍の子が様々な書物に登場するようになるそうです。

 

 

9種類の姿の龍の子供たち

明代の龍生九子についての説明は、李東陽の「懐麓堂集」や楊慎の「升庵外集」が知られていますが、楊慎は李東陽の弟子で、それぞれの龍生九子には出て来る名前や順番が若干異なっています。ただどちらの龍生九子にしろ、これまでに中国で伝説の動物や怪物とされていたものをまとめて龍の子供とし、性質や役割を振り分けたものでした。

 
李東陽の「懐麓堂集」の龍生九子は以下の9匹です。
■「囚牛(しゅうぎゅう)」
龍の角と鱗を持ち、音楽を好みます。琴や鼓の飾りに使われています。

 
■「睚眦(がいし)」
山犬の首を持っていて気性が荒く、争いや戦いを好むことから、剣や刀の飾りや古代中国の軍旗の図案などになりました。

 
■「嘲風(ちょうほう)」
伝説の霊鳥である鳳凰(ほうおう)に似ていて、高いところや遠くを眺めるのを好みます。軒の上に飾られ、シーサーの起源と言う説もあります。

 
■「蒲牢(ほろう)」
龍に似た姿でほえるのが好きだということから、釣鐘の鈕(ちゅう)という鐘を吊るために綱を通す部分の飾りによく見られます。この鈕を日本では「竜頭(りゅうず)」と言い、腕時計の針を動かしたりゼンマイを巻く部分の名称になりましたが、蒲牢の飾りは見られなくなりました。
 

■「さん猊(さんげい)」
獅子の姿に似ていて煙や火を好む性質から、寺院の香炉の足の飾りになっています。位の高い僧が座る場所を「猊座(げいざ)」と言い、高僧のことを「猊下(げいか)」と言うのはここから来ています。

 
■「蚣蝮(はか)」または「覇下」
姿は龍に似ていて水を好む性質があり、雨樋(あまどい)や橋、水路など水に関わるものの装飾に見られます。

 
■「へいかん」
年老いた虎の姿に似ていて、正しく訴えを裁くとされることから、監獄の門や扉に飾られます。中国では監獄そのものの異称ともなりました。

 
■「贔屓(ひき、びし)」
亀に似た姿で重たいものを背負う役割を持っているとされ、石柱や石碑の土台の装飾に見られます。

 
■「ちふん」または「鴟吻(しふん)」
魚やクジラに似た姿とされ、何かをくわえることが好きで遠くを望む性質があると言われています。そこから屋根のいちばん上の「大棟(おおむね)」の両端をくわえるように飾られ、これが「鴟吻(しび)」という装飾になりました。日本の城のシャチホコのもとは、この鴟吻からきたものです。

 

 

贔屓の引き倒し

誰か自分が気に入ったひとに対して、肩入れしたり援助したりすることを「ひいきする」と言いますが、この「ひいき」は漢字では「贔屓」と書きますね。そう、「ひいき」はまさしく龍生九子の「贔屓」なのです。

 
中国では「贔屓」は「力を出す」といった意味があり、そこから日本では「特別扱いする」という意味に使われたようです。日本のことわざ「贔屓の引き倒し」は、「ひいきが度を過ぎると、周囲の反感を買い、かえってその相手を不利にしてしまう」という意味ですが、その由来として石柱や石碑の土台になっている龍生九子の「贔屓」を引っ張ると、その石柱が倒れてしまうことから、このことわざが生まれたという説があります。

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