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彦山豊前坊はどこからやって来た?豊前・英彦山に棲む九州の天狗の元締

天狗
 
豊前国の田川郡(福岡県)と中津市(大分県)の境にある英彦山(ひこさん/古くは彦山)は古代からの霊山(神体山)で、熊野の大峰山、出羽の羽黒山とともに「日本三大修験山」に数えられます。

英彦山には修験と信仰の拠点であった「英彦山神宮」がありますが、ご祭神は「正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)というたいへん長い名前の神様。高天原での「アマテラスとスサノオの誓約(うけい)神話」に描かれている、スサノオがアマテラスの抱いた疑いを解くために行った誓約のあとで、スサノオがアマテラスの勾玉から生みだした五柱の神様のひとりです。そして、ご祭神の天忍穂耳命がアマテラスの息子であることから、「アマテラス=日(太陽)」の「子」で「日子(ひこ)山」と呼ばれ、それが彦山、英彦山となったということです。

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英彦山は早くから神仏習合の修験の山で「英彦山権現」として祀ってきましたが、12世紀より天台宗系の修験道の拠点となってからは、山全体に修行僧が生活する僧坊が3,000余り、修行の場が49窟もある一大修行道場として栄えました。

「天狗と問答をした小早川隆景」の記事でもご紹介しましたが、この英彦山を住処とするのが日本の八天狗、48天狗のひとりであり、九州一帯の天狗の元締格と言われている「彦山豊前坊」という大天狗です。

 

大天狗を祀る豊前坊高住神社

この英彦山には「豊前坊高住神社」という神社があり、社殿が創建される前には「豊前窟」という名前の49窟ある修行の場のひとつでした。ご祭神は「豊日別(とよひわけ)」という豊前国と豊後国を護る神様なのですが、このご祭神以上に有名なのが大天狗の彦山豊前坊で、高住神社のご祭神の一柱として祀られています。

彦山豊前坊は、欲が深く驕り高ぶった人間には配下の天狗を飛ばしてその家に火をつけたり子供をさらったりと、とても厳しい鉄槌を下すそうです。しかし反対に信仰心を持って心正しい人には、直属の家来である八天狗をはじめとして英彦山のすべての天狗を動員して、その人を護ったり願いを叶えてあげたりすると伝えられています。

小早川隆景との問答の伝説では、彦山豊前坊は英彦山の樹木を護ろうとして現れますが、同じ安土桃山時代に英彦山の麓の毛谷村に生まれ、加藤清正の家臣となって文禄・慶長の役で勇名を馳せた毛谷村六助(貴田孫兵衛)という武将の伝説では、彦山豊前坊に剣術を授かり無類の強さを身につけたという言い伝えが遺っています。

 

彦山豊前坊はどこから生まれた天狗なのか??

九州の天狗の元締、統領とされる彦山豊前坊ですが、この大天狗はどこから生まれたのでしょうか。
一説には、天狗伝説には数多く登場する役小角がこの英彦山で修行をしたとき、英彦山の神である天津日子忍骨命(天忍穂耳命の別名)がそれを祝福して天下ったものが、この彦山豊前坊であるとされています。

しかし、これは推測なのですが、豊前坊高住神社の主神である豊日別と彦山豊前坊にはつながりがあるように思われます。というのも豊日別という神様ですが、イザナギとイザナミが大八島(日本列島)を産む国産み神話で、筑紫の島(九州)にはひとつの体と4つの顔があり、その二番目の顔(豊前、豊後を合わせた豊国)の名前が豊日別であるとされています。そしてこの豊日別は、「猿田彦(さるたひこ)」と同一の神様であるという伝承もあるのです。

猿田彦と言えば、日本の天狗の元祖とも考えられている存在ですから、もしかしたら猿田彦の伝承と修験道が結びついて彦山豊前坊という大天狗が産まれたのかも知れません。

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