天狗さらいに遭った少年…秘本『仙境異聞』にまとめられた不思議体験
天狗と江戸時代で特徴的なのが、いろいろな人たちが天狗学とも言うべき様々な研究を行ったことでしょう。それも名も知れぬ人たちのものではなく、江戸時代初期の儒学の大家である林羅山、江戸時代中期に幕政にも大きな影響力を持った学者の新井白石、同じく中期の儒学者で思想家の荻生徂徠といった高名な学者たちが天狗を取り上げています。
幕末の国学者で思想家の平田篤胤は、死後の幽界やこの世ではない異界などに大きく関心を持った学者です。そして林羅山たちに影響を受けながら天狗研究も行い、「天狗さらい」にあったという少年の体験談を『仙境異聞』という書物にまとめています。
天狗にさらわれた寅吉少年
『仙境異聞』は書かれた後、長らく門外不出の書物であり、高弟でも見ることができなかったと言われています。そんな隠された秘本には、天狗界に出入りができるという少年「高山寅吉(仙道寅吉)」の体験談が問答というかたちで記録されています。
寅吉は小さい時から未来を言い当てたり、無くなったものの在処を探し当てたりと、不思議な能力を発揮する子供でした。いわゆる超能力少年か霊能力少年ということでしょうか。
そんな寅吉が、文化9年(1811年)の7歳の時に上野の東叡山寛永寺のそばの五条天神で遊んでいると、境内に薬を売る老人がいました。五条天神は医薬の神様ですから、薬売りがいて不思議はありません。その老人、日が暮れる頃になると、並べていた薬や敷物などを高さ15、6センチぐらいの壷の中にしまい込みました。そしてすべて入れ終わると今度は自分の片足を入れ、やがて全身がその小さな壷の中にするりと入ったかと思うと、壷は空中へと飛び上がって消えて行きました。
翌日も寅吉が五条天神に行くと、やはりその老人がいます。寅吉が夕方まで老人を見ていると、老人は寅吉に向かって「おまえもこの壷に入れ」と言います。ためらっているとお菓子で誘われ、「卜占を勉強したければ、わしと一緒に来い」と薦めます。寅吉が少し興味を示すと、あっと言う間に壷の中に吸い込まれてしまいました。
天狗に術を教わる
気がつくと寅吉は、常陸国(茨城県)の加波山と吾国山の間にある南台丈という山に立っていました。子供だった寅吉が泣き喚くと、老人は家まで送り返してくれましたが、「誰にもこのことをしゃべらず毎日、五条天神まで来れば、送り迎えして卜占を教えてあげよう」と誘われました。それから寅吉は毎日、老人におぶわれて空を飛び江戸と常陸を往復します。はじめは南台丈でやがて行き先は岩間山になり、この老人から祈祷の仕方、文字や護符の書き方など様々なことを学びました。
こうして寅吉は7歳から11歳まで江戸の町と山を行き来し、12、3歳頃には老人が江戸に現れて術を教えるようになりました。15歳になると師である老人と一緒に空を飛び、海を渡って中国にまで行ったと言います。その後、岩間山で修行を続け、師から「高山白石平馬」という名前をもらいます。そして江戸から鎌倉、江ノ島、伊勢神宮などを参拝して廻り、諸外国にまで行って帰って来たのだそうです。
平田篤胤は寅吉に様々な質問をしましたが、15歳の少年が知り得ないようなことをすらすらと答えるので、これは実際の体験談であると『仙境異聞』にまとめたわけです。
老人の正体は大天狗だった!
それでは寅吉少年に様々な術や学問を教えた師である老人は、誰だったのでしょうか。実はこの老人は、常陸国岩間山(現在の愛宕山)に棲む「杉山僧正」という大天狗だったのです。岩間の愛宕山には十三天狗の伝説が遺っていて、杉山僧正はこの13人の天狗の統領でした。
また寅吉はその後、下総(千葉県)の諏訪神社で神職となり、天狗から教わった秘薬で病人を治しました。寅吉がもうけた子供はその秘薬を受け継ぎ、薬湯に入れる天狗湯という湯屋を営んで繁盛し、昭和の時代まで長く続いたということです。