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天狗のルーツ?猿田彦を祀る「猿田彦神社」と「椿大神社」(三重)

天狗
 
日本の天狗の元祖かも知れない猿田彦(さるたひこ)という神様。身長が2m以上で、1m以上という長大な鼻を持っていたという伝説もあり、いわゆる鼻高天狗にそっくりな姿かたちであると言われます。その猿田彦を祭神とする神社の本拠地(総本社)が、近江国(滋賀県)と伊勢そして鈴鹿(三重県)にあります。

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そのひとつは滋賀県の比良山を望む琵琶湖の湖畔にある「白鬚神社」で、全国の白鬚神社の総本社。そして三重県にはその名のとおりの「猿田彦神社」と「椿大神社」という2つの総本社が存在しています。
今回は、三重県の2つの猿田彦の神社を訪ねてみることにしましょう。

 

「天狗の遊び場」がある椿大神社

全国にはおよそ2千社の猿田彦を祀る神社があるそうですが、その総本社とされているのが鈴鹿市の椿大神社ということになっています。社伝では椿大神社の創建は第11代垂仁天皇27年(紀元前3年頃か)で、滋賀県の白鬚神社が垂仁天皇25年とされていますから、ほぼ同じ頃にできたとても古い神社ということになります。

また、猿田彦の後裔とする「行満大明神」は、日本の修験道の祖とされる役小角(役行者)を修験道に導いた元祖としていて、この行満大明神の子孫が現在に至るまで椿大神社の宮司をされているということです。

このことから、天狗の原点かも知れない猿田彦→後裔の行満→修験道の祖とされる役小角→修験道と関係の深い天狗信仰、とつながっていくことも考えられます。

この椿大神社は標高905mの入道ヶ獄という山を背景としていて、その山の山頂には奥の宮があります。山頂一帯には太古の磐座(いわくら:古い神道における神が宿る岩)が点在しているそうですが、頂上より約200mのところには「天狗の遊び場」という磐座があり、ここは昔、猿田彦の一族が集まって話し合いを行った場所なのだそうです。「遊び」とは古代の「政治」の意味ということで、猿田彦一族=天狗が政治を行う場所だったのでしょうか。

 

新しい道をひらくパワースポット・猿田彦神社

伊勢神宮・内宮の北の方向に猿田彦神社があります。この神社も全国の猿田彦を祀る神社の総本社とされていて、椿大神社と同じく猿田彦神社の宮司は猿田彦の末裔なのだそうです。

というのも、猿田彦の故郷は伊勢の五十鈴川の上流の地で、天孫降臨神話で瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を迎えたときに最初に出会った女性の神、天宇受売命(あめのうずめ)を伴ってこの伊勢の地に帰ったことから、この猿田彦神社のある場所が猿田彦の本拠地であると言われています。伝承では猿田彦の後裔である大田命が、やはり第11代垂仁天皇の時代に天皇の第4皇女である倭姫命(やまとひめのみこと)にこの伊勢の五十鈴川上流の地を献上し、倭姫命は垂仁天皇25年に天照大神(あまてらすおおみかみ)の祭祀を託され、現在の伊勢神宮内宮ができたということです。

ちなみに琵琶湖の白鬚神社は倭姫命によって社殿が建てられたという伝承があり、鈴鹿の椿大神社は倭姫命に下った神託によって社殿が造営されたという伝承がありますから、猿田彦を祀る3つ神社はすべてほぼ同じ頃に、同じ倭姫命との強い関係があったということになります。

天孫降臨神話で猿田彦は瓊瓊杵尊の案内役(道しるべ)となったことから、猿田彦神社では「啓行(みちひらき)の神」とされています。そこから、何か新しいことを始めるときに良い方向に導いてくれるパワースポットとして多くの参拝者が訪れています。

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