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半僧坊は異国から来た天狗?建長寺半僧坊(鎌倉)、創建の謎

天狗
 
鎌倉に、天狗ゆかりのお寺があるのをご存知でしょうか。それも建長寺という鎌倉でも有数の大寺院、鎌倉五山第一位の臨済宗建長寺派の大本山の山内にあります。
建長寺の境内に入り、法堂や方丈といった大きな建物を抜けて最奥へ、半僧坊道から標高114mの勝上巘(しょうじょうけん)という裏山に登ると、その中腹に「半僧坊大権現(はんそうぼうだいごんげん)」を祀る半僧坊本殿があります。

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ここで祀られている半僧坊大権現は火事を防ぐ「火伏せの神」とされ、建長寺を護る鎮守なのですが、まさに天狗様なのです。
半僧坊本殿へと至る石段の途中には大天狗をはじめ、様々な姿の小天狗(烏天狗)たちの像が十数体ほどあり、参拝者を出迎えてくれます。

 

浜松から鎌倉にやってきた天狗様

建長寺は1253年に創建された鎌倉時代から続く歴史あるお寺ですが、建長寺半僧坊の歴史は新しく、その由緒は明治時代から始まっています。

明治中頃の建長寺住職であった霄貫道(おおぞらかんどう)和尚は、ある夜に山の中で白髪の翁(おきな)と出会い、「私を関東のどこか清浄な地に招いていただけるなら、そこはこれまで以上に栄え、いつもありがたいことが絶えることはないでしょう」と告げられる霊夢を見ました。和尚はこの翁こそ半僧坊大権現であり、建長寺を護る鎮守にふさわしいと、自ら半僧坊が祀られている浜松市奥山の方広寺に出向き、大権現の分身を願っていただいて帰り建長寺に鎌倉半僧坊を創建したということです。

 

半僧坊は異国からやってきた天狗!?

鎌倉半僧坊のもとの浜松の奥山半僧坊は、臨済宗方広寺派大本山の方広寺にあります。
方広寺の開祖である南北朝時代の僧、無文元選(むもんげんせん)禅師は中国の元に渡り、各地を巡って参禅を行いました。そして日本への帰国の途中、東シナ海で台風に遭遇します。

嵐のなか、今にも大波に飲み込まれそうな船中で禅師が観音経を唱えていると、鼻が高く眼光の鋭いひとりの異人が現れました。この異人が「わたしが禅師を無事、日本にお送りします」と、船頭や水夫を指揮して台風を見事乗り切り、博多の港へと導いて姿を消したのでした。
その後、禅師が方広寺を開くと、その異人が再び姿を現し「弟子になりたい」と願いました。禅師は「あなたは、半ば僧のようなところがある」と言われて弟子になることを許し、そこから「半僧坊」と呼ばれ修行に励むことになりました。

禅師が亡くなると「わたしがこの山と寺を護り、世の人々の苦しみや災難を除きましょう」と姿を消し、半僧坊大権現となって方広寺の鎮守として祀られているということです。
その姿はいわゆる鼻高天狗とされていて、また後年に誰もその姿を見たことのなかった半僧坊大権現の像を造ろうとしたとき、仏師の夢枕にひとりの翁が現れて「大権現の姿は、(日本の神話に伝わる)鼻の高い猿田彦のようである」と告げたという伝説も遺っています。

寺社に祀られる天狗は、山の神や修験道に関わるものが多いのですが、この半僧坊の天狗の場合には外国からやってきた異人であるとされており、天狗=異人説を伝える珍しい例なのかも知れません。

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