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鳥山石燕…江戸時代の妖怪ブームに火をつけたカリスマ妖怪画家

不思議体験
 
鬼をはじめとした様々な妖怪の伝説は、日本の歴史の陰で脈々と受け継がれて来ました。
書物に記述されたものでは『古事記』『日本書紀』や『風土記』に始まり、また日本各地の伝承として途切れることなく長い歴史を歩んで来たのです。
平安時代以降に物語や絵巻物などが盛んになると、鬼や妖怪はストーリーのあるお話や実際のビジュアルとなって人々に伝わって行きましたが、それが一挙に華開き大流行したのが江戸時代なのです。

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それはどうしてなのでしょうか。その背景には室町期から戦国時代にかけての長い戦乱の時代がようやく終わり、徳川幕府のもとで戦のない平和な世の中が訪れたことがあります。賛否両論はありますが、長い間の鎖国により日本独自の社会や文化が発達したことも影響しています。平和な時代のなかで消費社会が発展し、町人文化が隆盛したことなどが人々の妖怪や伝説、不思議な物語への興味関心を誘うバックボーンとなっていきました。

徳川家康が初めて江戸入りした天正18年(1590年)には「茅葺きの家が百ばかり」であったのが、その約130年後に人口調査が行われた亨保6年(1721年)には町人だけで50万人、武家などを入れた推定では100万人という世界一の大都市になっていました。
江戸時代における妖怪の大流行は、この巨大都市・江戸を中心に起こったと言われています。

 

江戸文化のなかで流行して行った妖怪

江戸の町は、まさに人とモノと情報が集まる巨大消費都市。そこには町人=一般庶民を中心とした、消費都市ならではの文化が華開いて行きます。そしてそんな江戸文化の一翼を担っていたのが出版文化であり、そこに描かれた妖怪でした。

日本の江戸時代は、世界のなかでもとても識字率が高かったことで知られています。ごく普通の町人や、武家社会のなかでも女性たちが本を楽しむことができました。平和で文化が爛熟して行けばいくほど人々の好奇心は旺盛になり、この世の不思議なことに関心は向かって行きます。
江戸の妖怪大流行は、そんな時代の空気のなかで起こったのです。

 

妖怪ブームの火付け役となった鳥山石燕

江戸時代の妖怪ブームの火付け役となったと言われるのが、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』という妖怪画集です。
鳥山石燕は正徳2年(1712年)に生まれ、天明8年(1788年)に亡くなった狩野派の画家であり浮世絵師です。石燕の名前や作品は有名ですが、その生涯についてはほとんど伝わっておらず、彼がなぜ妖怪画を描いたのについては良くわかりません。しかし晩年の安永5年(1776年)に刊行された『画図百鬼夜行』は、鳥山石燕を一躍、妖怪絵師としての地位を確かなものとしました。

その成功が後押ししてか、3年後の安永8年(1779年)には続編である『今昔画図続百鬼』を刊行。続けて安永10年(1780年)に『今昔百鬼拾遺』、さらに天明4年(1784年)には『百器徒然袋』と八年間の間に4冊もの妖怪画集を刊行しました。
これら4冊の妖怪画集には200弱の種類の妖怪が登場し、現代の私たちが知っている妖怪のほとんどが、鳥山石燕の妖怪画が元になっていると言ってもいいでしょう。

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