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愛宕山太郎坊・鞍馬山僧正坊・比良山治朗坊・大峰前鬼坊~山の神・八天狗

パワースポット
 
日本の天狗は、仏教や修験道、山岳信仰などと結びつきながら、主に山を住処とし、その山を護る守護神としての性格も強めていきました。特に室町時代以降は、霊山や修験者が修行するような山では、そこに住む天狗たちに名前が付けられ崇拝の対象ともなっていきます。

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まさに山の神とも等しくなって行った大天狗は日本を代表する天狗となり、その有名な天狗たちは「日本八天狗」として知られるようになりました。
それでは、天狗の代表である八天狗のうちの四天狗をご紹介することにしましょう。

 

八天狗の筆頭、愛宕山太郎坊(京都)

日本を代表する筆頭の大天狗が、この愛宕山の太郎坊という天狗です。
三千年前に仏の命によってイザナギ神を祀る全国の愛宕神社を護る任に就いたとされ、太平記では愛宕山に集まる大天狗たちの長老として登場します。
太郎坊という名前は鎌倉時代の「源平盛衰記」に初めて出て来たとされますが、1177年の京の都の大火事は愛宕山の天狗が引き起こしたもので「太郎焼亡」と呼ばれたそうですから、平安時代末期あたりからその名前が付けられていたのかも知れません。
太郎坊の配下には火乱坊、三密坊、光林坊、天南坊、普賢坊、歓喜坊、東金坊という八天狗がいるほか、九億四万の天狗を率いて現れるというお話もありますから、まさに日本の天狗の頂点に君臨する存在と言えるのでしょう。

 

鞍馬天狗の鞍馬山僧正坊(京都)

牛若丸に武芸の奥義を教えたのが、鞍馬天狗こと鞍馬山僧正坊です。
そもそも鞍馬山の鞍馬寺の本尊のひとつは魔王尊と呼ばれる天狗であり、1850万年前に金星からやってきた「サナト・クマーラ」というヒンドゥー教の賢人がその本尊とも言われています。
一方で鞍馬山僧正坊は、和気清麻呂の末裔で有原業平の叔父でもある、真如法親王の弟の壱演僧正ではないかという説もあります。壱演僧正は鞍馬山に庵を結んで幽棲しましたが、法力が高かったことから死んで後に天狗の僧正坊になったということです。

 

龍に敗れた比良山治朗坊(滋賀県)

もとは比叡山の天狗であったのが、最澄ら延暦寺の法力の高い僧たちが比叡山に入って来たので比良山に移り住んだといわれる天狗です。
愛宕山太郎坊の弟分とされていますが、今昔物語では蛇の姿の龍を捕らえたものの、再生した龍に見つかって負けてしまう乱暴者の天狗として描かれています。

 

役の行者に仕えた大峰前鬼坊(奈良県)

役の行者に従って大峰山中を歩き回り、その先導役であり警護役も果たしたのが前鬼、後鬼の夫婦の鬼でした。
前鬼は後に天狗となり、大峰前鬼坊(那智滝本前鬼坊)となったとされています。鬼と天狗は時には同一視されることもありますが、この前鬼の場合は明確に鬼から天狗になったという説が存在する珍しい例かも知れません。ただ修験道や山岳信仰の元祖である役の行者(役小角)が使役する鬼であり弟子でもあるわけですから、鬼から天狗に出世したとしても不思議ではないでしょう。

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