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西行が人造人間を造った話…鬼は人を造る技術を持っていた?!

百人一首
 
平安時代に紀長谷雄という人が鬼との双六勝負に勝って、鬼が造った絶世の美女をもらったが、鬼との約束を守れなくて美女は溶けてなくなってしまった、という話を別の記事で紹介しました。

このお話から200年ほど後の平安時代末期、歌人として有名な西行が鬼を真似て人造人間を造ったという話が遺っています。直接、鬼は登場しませんが、なんとも不思議な話なのでご紹介することにしましょう。

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西行は俗名を佐藤義清といい、出家して西行と名乗りました。出家後は心のおもむくままに様々なところに草庵をいとなみ、また諸国を巡る漂泊の旅に出て彼独特の自由な表現にあふれた和歌を多く詠んでいます。
このお話は、そんな西行が若くして出家し32歳で修行のため高野山に入って、以降30年ほど高野山の奥深くに住んでいたときのこととして、鎌倉時代の作者不詳の説話集「撰集抄」に記述されています。

 

友が恋しくなり、人を造ろうと思い立った西行

西行が高野山の奥に住んでいた頃、友人の西住上人が京に用事があるからと都へ上がって行ってしまいました。西行は友が恋しくなり、鬼が人骨を集めて人間を造るように自分も造ってみようと思い立ちます。
信頼できる人から造り方のあらましを聞いていたので、野原から骨を拾い並べ連ねて造ってみたのですが、どうもうまくいきません。27日間並べた骨を人のかたちに置いたあと、沈香(じんこう)を焚いて反魂(はんごん)の秘術を行ったのですが、できあがったものは人の姿はしていても血色は悪く、心もありません。声は出せても、まるで吹き損じた笛の音のようでした。
さてどうしようか、破壊すると人殺しになってしまうかも知れないと思い、西行はこの人造人間を高野山の奥の人も通わないところに捨ててしまいました。

 

失敗の理由を尋ねて、人造りをやめてしまう西行

どうして失敗してしまったのか不審に思った西行は、都に出向いた折に造り方を聞いた徳大寺を訪れますが以前に教えてくれた人が不在だったため、今度は伏見の前中納言師仲を訪れます。
師仲にどのように造ったのかを聞かれたので、西行が野原で骨を拾って並べ反魂の秘術を用いたと自分のやったことを詳しく述べると、師仲はやり方のどこが間違っていたかを教えてくれました。「27日間ではまだ日にちが足らなかったな。また香を焚いてはいけない。香には魔を遠ざけて聖なるものを集める徳があるのだから」
師仲は四条大納言という人に造り方を伝授されてから、いままでに何体か人間を造ってきたのだと言います。そのなかには大臣に出世した者もいるのだそうですが、誰がそうだと明かすと造った者も造られた者も消滅してしまうのだとも言いました。
このように師仲から人の造り方について詳しく教わったのですが、西行は聞いているうちになんだかつまらない気がして、その後は人を造ることはなかったのだそうです。

西行は、和歌はもとより、楽器の演奏や武術にも優れた諸芸に通じた人物として知られていましたから、鬼と同じように人間を造ることもできるだろうと後世の人は考えたのかも知れません。

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