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信州・鬼無里村(長野県)に残る戸隠の鬼女、紅葉の不思議な伝説

パワースポット
 
信州の戸隠(長野市)は、不思議な神話や伝説が残っている場所です。例えば戸隠山は修験道の地であり、この修験道から忍術が起こった場所のひとつでもあるという説もあります。

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なぜ戸隠という地名がついたかという伝説では、日本神話に出てくる天照大神が岩戸に隠れ天下が暗闇になったという天岩戸神話がもとになっています。天照大神が少し岩戸を開けたときに、天手力命(あめのたじからおのみこと)がその一瞬を逃さず岩戸を引き開けたのですが、その岩戸を力いっぱい遠くに投げ、ひとつは九州宮崎の高千穂へ、もうひとつはこの信濃の戸隠へと飛んで行き、その岩戸が戸隠山になったということです。

この伝説の地、戸隠には鬼女の伝説も残っていますのでご紹介してみましょう。

 

妖術を使って都の兵と戦う鬼女、紅葉

平安時代の中頃に、奥州に生まれた美しく才知にあふれる娘がいました。この娘は、子供のいない両親が第六天魔王に祈ってようやく授けられた子供でした。
やがて京の都に上った娘は紅葉という名前となり、琴の名手として評判を呼び源経基の御台所の局(つぼね)となります。紅葉は経基の寵愛を得ますが、そのとき御台所が患っていた病の原因が紅葉の呪いであると比叡山の高僧に見破られてしまいます。
そして紅葉は信州戸隠に追放されて来ました。
戸隠の村人は美しく教養あふれる紅葉を敬愛し、屋敷を建てたり収穫物を捧げたりします。昼間は村人に読み書きを教えるなどをしていた紅葉ですが、山里の暮らしに物足りなさをおぼえ、やがて夜には変装し配下を集めて他の村を荒し回るようになりました。
この話は戸隠の鬼女として京の都にも伝わり、朝廷は平惟茂に鬼女討伐を命じます。惟茂は多くの兵を率いて戸隠に討伐に向かいますが、紅葉は妖術を使って立ち向かい討伐は失敗に終わってしまいます。
紅葉の妖術に対抗するためには神仏の力を借りるほかないと、惟茂は別所北向観音に17日間参籠し、そのかいあって紅葉の妖術は敗れついに討伐されてしまったということです。

 

紅葉を鬼女ではなく貴女とする鬼無里の伝説

戸隠の紅葉伝説は、葵上や黒塚、道成寺などの嫉妬や執念、怨念が生みだした鬼女とは少々性格が異なり、大江山の酒呑童子の鬼伝説に近いものがあります。
また紅葉伝説の舞台となった戸隠の鬼無里(きなさ)に伝わる伝説では、紅葉は鬼女ではなく医薬や手芸、文芸などに優れた女性であり、村人に恩恵をもたらす「貴女」であったと伝えられています。戸隠への追放の原因とされた御台所への呪いの咎の話もまったく逆で、御台所が紅葉に嫉妬しその讒言がもとで追放されたということになっているのです。
これらは、紅葉が村の外からやってきて恵みをもたらす「稀人(まれびと)」とされ、鬼=恵みをもたらす神のような存在との考え方が強く残っていたからではないでしょうか。
鬼無里という地名は、紅葉が都の兵に討たれたあとに鬼がいなくなったということで、そう呼ばれるようになったとされています。しかし現在でも、鬼無里には紅葉が住んだ内裏屋敷跡があり、松巌寺には紅葉の守護仏とされる木仏や紅葉と家臣の墓が遺されていて、鬼女=紅葉を偲ぶことができます。

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