作者は不明…竹取物語が成立した背景とは?
竹取物語は、作者不詳であるがゆえに、ストーリー自体やストーリーが描き出す世界観に対する解釈が、大きく変換しながらこんにちに至っています。
作者が存在していたならば当然語られるはずの「物語制作の意図や目的」は、一個人からの発信としてはまったくないまま、千年以上も語り継がれてきていることになります。千年以上も前の物語であることを差し引いても、これはかなり不思議でユニークな例なのではないか、と思われます。
しかし、似たような例は、現代にも存在しています。
時代を超えた民衆の思いを代弁する竹取物語
作者がいないことを逆説的に考えれば、「作者は大勢いる」ということです。
数百年の昔であれば、もちろんビデオやテープレコーダー、USBメモリーなどはなく、PCやコンピュータはおろか、テレビや車や洗濯機などもありません。紙と筆、そして文字や言葉は存在していたでしょうから、記録を残す場合には、もっぱら「文字と言葉」を使っていたと思われます。
そして竹取物語の場合には作者はいないわけですから、文字と言葉だけをたよりに、多くの人が物語の成立に参加していったもの、と思われます。
竹取物語は巨大なモザイク絵
現代にも「作者不詳」な芸術の例は、たくさんあります。たとえば「モザイク絵」です。これは、多くの人が意図的または無作為に製作した絵画や写真をもとに、大きな絵を作り出す手法であり、大きな絵を何にするかとか、全体の構成はどうするか、というところには、構図の確定者や構成作業者が存在していますが、モザイク絵を構成しているひとつひとつのパーツは、あくまでも個人個人がそれぞれの思いで作ったものであり、それらのパーツに何らかの意図を施して全体を大きな絵に仕上げたものが、モザイク絵になるわけです。
作品を仕上げるための作業者と構図確定者は、厳密な意味では「作品の作者」ではありませんので、モザイク絵の作者もまた、「作者不詳」となります。
竹取物語にも構成者はいる?
このように考えると、竹取物語の様々なエピソードは、複数の人々の、複数の物語から成立していったことが考えられますし、全体のストーリーを今の形に仕上げ、定着させるには、構成または編集に関わった要員が存在していたことがわかります。
もしかしたら「全体像がこれでよい」と決め切る役割である「構図の確定者」は、いないまま推移していった可能性もあります。このため竹取物語は、いまもさまざまな解釈か可能な、行間の多い物語となり得ているのです。