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呪いの真相…「ツタンカーメン王の呪い」はなぜ起こったのか

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王家の谷に眠る、古代エジプトの歴代の王の中でも、群を抜いて有名な王といえば、やはりツタンカーメン王ではないでしょうか。世界各国の美術館などで、展示や閲覧がおこなわれているので、有名な黄金のマスクを実際にご覧になった方も少なくない、と思われます。ツタンカーメン王の名声と共に、必ず付いてまわるのが「ツタンカーメンの呪い」の話ですが、ツタンカーメン王の墓の発見後に死亡した人間としては、発掘の中心人物のひとりであるイギリスの貴族カーナヴォン卿ただひとり、とされています。なぜこれほどまでに、ツタンカーメンの呪いのうわさが広まっているのでしょうか。

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呪いが広まるメカニズム

世の中に、呪いを含めた噂話が広まっているメカニズムとして、「さまざまな媒体、手段による伝達」があげられます。代表的な手段として、口コミや各種報道によるものが相当しますが、ひとつの事実に対して、伝達される媒体や期間が大きくなればなるほど、事実とは異なる内容に変貌する可能性は高くなります。そういった意味では、ツタンカーメン王の呪いの場合、明確な事実としては、1922年の墓の発見直後に、中心人物のひとりであるハワード・カーター氏所有のカナリアが、蛇に呑まれて死んでしまったことと、発見の半年後に、もうひとりの中心人物であるカーナヴォン卿が敗血症で死亡した、ということのみなのですが、この2つの事実を元にして、「ツタンカーメンの呪い」の話が作られていったもの、と思われます。

 

少ない情報に尾ひれがついた?

1920年代当時は、現在のようにインターネットやグローバルな新聞、雑誌などは存在しておらず、伝達手段としては、もっぱら口コミや報道によるものだったと推測されますが、伝達に携わった人や国の数は数知れず、また現在においても「呪いの噂」は消滅していないことを考えると、呪いの噂が広まっていった期間も相当な長さであった、といえそうです。このため結果的に、もとの2件の事実に対して、さまざまな「尾ひれ」がついたことが、ツタンカーメンの呪いの噂が消えない大きな原因になっているのではないか、と思われます。

 

コナン・ドイルの影響も

そしてもうひとつの大きな原因が、当時作家として既に名声を得ていた、シャーロック・ホームズの物語の作者として有名なイギリスの作家、コナン・ドイル氏の影響です。氏は、推理小説を好む作家であったこともあり、「ツタンカーメンの呪い」というトピックを、好意的かつ肯定的に捉えていたようで、このことも、世間に呪いの噂が定着することを後押しした、と思われます。作家では後年、同じくイギリスの作家アガサ・クリスティー氏も、古代エジプトに関する呪いを取り上げています。

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カテゴリ: その他

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