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伝説のアーサー王のモデル?「リオタムス」

アーサー王

5、6世紀のブリタニアの伝説の王といわれる「アーサー王」のモデルとなった人物がいるという説があります。
そのうちのひとりはローマ系ブリトン人で、戦士でもありブリタニアの西側を統治したとされる「アンブロシウス・アウレリアヌス」。
そしてもうひとりは、ブリトン人の王「リオタムス」と呼ばれる人物です。

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ブルターニュから来てブリトン人の王となったリオタムス

リオタムスはアンブロシウス・アウレリアヌスと同じく5世紀の人物で、その出自はフランスのブルターニュ地方の領主の一族だとされています。

ブルターニュ地方はイギリス・グレートブリテン島と同じくローマ帝国の統治下におかれ、いくつかのケルト系部族が住んでいました。5世紀の終わりには多くのブリトン人がブリテン島から移住して来ますが、大陸のブルターニュ地方とブリテン島は同じケルト系として古くから交流が盛んだったのでしょう。

リオタムスはやがてブリテン島に渡りブリトン人として王となり、アンブロシウスも戦ったとされるサクソン人を招き入れたヴォーティガン王や侵攻して来たサクソン人と戦いました。

そんなリオタムスのもとに、大陸をまだ統治していた西ローマ帝国の皇帝アンテミウスから、ゲルマン系の西ゴート族との戦争のために大陸に来るように要請があります。5世紀の後半、470年のことです。

 

 

西ゴート族と戦い敗れたリオタムスとアーサー王の伝説との類似点とは

リオタムスは2万のブリトン軍を率いて大陸に渡り、現在のフランス中央部のブルージュまで攻略して占領に成功します。
しかしデオルの町に攻め入ろうとしたとき西ゴート族の大軍が押し寄せ、激戦の末に敗北してしまい西ローマ帝国の同盟部族であるブルグンド族のもとへと敗走しました。

西ローマ帝国皇帝アンテミウスの統治下で現在のフランスであるガリアの長官を務めていたのは、アルウィンドウスという人物でした。この人物が西ゴート族と通じてリオタムスのブリトン軍の情報を流し、ブルグンド族とガリアを分けるように勧めたのだといいます。

結局、この長官は裏切りの罪によって死刑にされますが、このアルウィンドウスの流した情報により西ゴート族はリオタムスの軍を破ったのでした。

このリオタムスの史実から、アーサー王の大陸への遠征伝説や、王を裏切って反乱を起こした甥のモルドレッドとの戦いの伝説が生まれたのではないかという説もあります。
また、もうひとりのモデルとされるアンブロシウス・アウレリアヌスとリオタムスは、じつは同一人物なのではないかという説もありますが、その証拠があるのかどうかは良くわかっていません。

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