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伝説のアーサー王のモデル?アンブロシウス・アウレリアヌス

アーサー王

5~6世紀のブリタニアの伝説の王といわれる「アーサー王」は、はたして実在したのでしょうか?その答えは、現代になっても見つかってはいません。それはまるで、日本における邪馬台国の女王卑弥呼のようでもあります。

しかし、アーサー王のモデルとなった人物が実際にいたのではないか、という説もあるのです。

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ローマ系ブリトン人の戦士アンブロシウス

アーサー王のモデルとされる古代グレートブリテン島で活躍していた人物は、じつは2人います。そのうちのひとりは、5世紀にブリテン島に侵攻して来たサクソン人と戦ったブリトン人の指導者で戦士の「アンブロシウス・アウレリアヌス」という人です。

その名前からもわかるように、アンブロシウスは祖先がローマ人の貴族でブリタニアに定住したローマ系のブリトン人だと考えられています。

ゲルマン民族の大移動によってヨーロッパは混乱し、それまでブリテン島を統治していたローマ人やローマ帝国の軍団は去ってしまいますが、アンブロシウスのように定住してブリトン人となった人たちもいました。

6世紀のイングランドのケルト系キリスト教の僧であったギルダスが書いた「ブリトン人の没落」という書物では、ほとんど個人名が記されていないのにも関わらずアンブロシウス・アウレリアヌスの名前だけが登場します。

それによると、サクソン人の侵攻と戦いに生き延びたブリトン人たちがアンブロシウスのもとに集まり、ときには勝利しときには敗北する戦いを行ったといいます。またギルダスの記述ではアンブロシウスはローマ人であるとして、彼の両親は紫色を着用していたと記していることからローマ貴族またはローマの軍団の司令官の一族の出身ではないかとする説もあります。

 

 

ブリタニアの西側を統治したというアンブロシウス

その後の時代の9世紀に書かれた歴史書「ブリトン人の歴史」にも、アンブロシウスが断片的に記述されています。

それによると、5世紀にブリタニアでブリトン人と争うスコット人やピクト人に対抗するために、ヨーロッパ大陸から傭兵としてサクソン人を呼び寄せた張本人とされるヴォーティガン王は、アンブロシウスを恐れながら統治したと記されています。

また、アンブロシウスはヴォーティガンと戦争を行い、その結果アンブロシウスは彼の要塞とブリタニアの西側の王国を統治し、「ブリタニアの王のなかの王」という表現も記されています。

これらを聞くと、アーサー王のモデルのひとりとされるのも頷けるかも知れません。
ちなみに「ブリトン人の歴史」はアーサー王伝説が記された最も古い書物といわれていますが、そこではアーサー王がサクソン人と戦った12の戦いが記され、またアーサーは王としてではなく軍を率いる戦士として記述されているようです。

同じ書物に登場するアンブロシウスとアーサーは、はたしてどんな関係があったのか、それともまさにアーサー王本人だったのでしょうか。

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