> >

与那国島の海底遺跡②:レムリア文化とムー大陸は同じ時期に同じ場所にあった?これほどまでに議論されるのはなぜ?

与那国島 海底遺跡

 

レムリア大陸とムー大陸については研究者たち、チャネラーたちの中で様々な説が持ち寄られてきました。
当初インド洋に存在したとされるレムリア大陸が、太平洋上にあると発表されて後、その大陸の最大時の大きさはユーラシア大陸と同等にあったのではないかとされています。

スポンサードリンク

 
与那国島海底遺跡1:今なお続く専門家たちの研究
与那国島海底遺跡2:レムリア文化とムー大陸
与那国島海底遺跡3:海底遺跡のモニュメント
与那国島海底遺跡4:海底遺跡の建設は当時の技術では無理だった
与那国島海底遺跡5:沖縄・八重山諸島とスピリチュアル文化

 

 

レムリア大陸とムー大陸論争

しかし、この説には、もともとの大きさにあった(ユーラシア大陸くらいのもの)をムー大陸と呼ぶ者や、水没によって大陸が個々に分かれてしまったときの二つの大陸をそれぞれムーとレムリアと呼ぶ者もいたりと様々な説が飛び交っています。

なぜこれほどまでに、レムリア大陸とムー大陸の間で呼び方にこだわったり、位置づけや水没説、はては大陸と呼ぶか文明と称するかにこだわっているのでしょう。

 

 

同じ位置に同時に存在した2つの大陸

それは、多くのチャネラーがアカシックレコードと呼ばれる宇宙歴史の書物庫を読み解く際に、霊的背景として(つまりエネルギー的に)この二つの大陸が同じ位置であると唱えたからと思われます。

同じであるとは、同時に存在していたことになります。

レムリア文明は、他の文明よりも愛の波動が高く発達していました。

神智学の書物では、レムリアとムー大陸は同じものと言われています。

 

 

金星より降臨したサナト・クラマ

1850万年前に金星より『サナト・クマラ』が降臨したことにより現れた文明が、レムリアであるという説があります。
地球における人間界の反映のために遣わされたのです。

『サナト・クマラ』が地球上に姿を現したことを、エーテル界に顕現したという表現を使う文献があります。
エーテル界とは、人のエネルギーの中で目に見える肉体域の次のエネルギー体のことです。

(オーラと呼ばれるのもこの、エーテル界)

 

サナト・クラマとルシファーを同一視する説もあります

そして、『サナト・クマラ』のやって来た金星は、宵の明星の使者ルシファーとも同一視されています。
ルシファーは、もともとは光の存在として天使たちと同じ場所にいました。
すべてが光の存在であったとき、光を光として認識するために、闇をつくることになった際に、そこに任していかなければいけない担当天使が必要でした。

誰も行きたがらないこと、それを請け負ったのが、ルシファーです。

その場にいた天使たちは、ルシファーが自ら選んだことの勇気を重んじ悲しみながら去ってゆくことを見守ったのです。

 

エーテル界に顕現したとは、このときのことを言うのではないかと考えます。
第三根本人種、レムリア期に降臨したサナト・クマラが「大いなる犠牲」と言われているのは、このときのことに似ている気がしてなりません。

そんなレムリア=ムー大陸の名残を残す遺跡が日本にあるとしたら、どれほど重要な位置に、沖縄という島はあるのでしょう。

このエントリーをはてなブックマークに追加


スポンサードリンク
スポンサードリンク

Comments are closed.